ドイツ日記」カテゴリーアーカイブ

第9話 リヒトハウスとは何 か?

写真1(煙突から出ている煙はお香)

これは何でしょうか。

これはドイツの民芸品でLichthaus(リヒトハウス、複数形ならLichthäuser、リヒトホイザー)というものです。陶器製の家のミニチュアですが、用途は、もちろんそのまま眺めるだけでもいいのですが、中にロウソクなどの明かりを入れて窓から漏れる光を楽しむというものです。それでLicht-Haus、明かりの家と呼ばれるわけです。明かりでなくて、お香を焚いたり、アロマオイルを楽しむこともできます。で、Dufthausと呼ばれることもあります。Duftは「香り」ですから香炉、ですね。一年中楽しんでもいいのでしょうが、ドイツではクリスマスものと意識されているようで、その時期に飾ったり、さらに雪の街のジオラマなどをつくってそこにこの家を配置して楽しんだりします。クリスマスマーケットではかならず1,2軒は店が出ています。

 私はこの3月にドイツから帰国しましたが、かの地であらたに見つけてきた趣味がこれです。

 私は元々建物を見るのが好きなので、ドイツでも観光はもっぱら建築見物に徹していました。ドイツの伝統的建築はFachwerkhaus――「木組みの家」と呼ばれています。日本人はこのドイツの田舎によく見られる家屋が大好きなようで、そういう家が町中に残っているローテンブルクなどにいっぱい行っていますね。実際そういう木組みの家の実物は形といい模様と言いまさにドイツに来たという気分を満喫させてくれるものですし、芸術品とよんでもいいものですが、ドイツにはそうした家が観光地に限らず、あちこちの町にけっこうあります。築数百年という、日本ならば厄介者扱いにされるか、文化財となるかという家がごく普通に住居や店舗として使われています。家を大切にするという点では日本はドイツに遠く及びません。乾燥したドイツの気候の元では木造の家が長くもつという事情もありましょうが、ともかく家は何世代にわたって住み、住み替え時でも既築の家を選ぶので、一世代ごとに新築するなどという愚かなことをしません。こういう点が生涯支出を抑えて人生を楽しむ方へ支出することに役立っているのかもしれんですね。もっともその代わり、買うとなると古い家でも値下がりはしません。日本では築30年の家は資産価値ゼロと言われますが、ドイツではそんな家はめったにありません。

 

写真2(ケルンのクリスマスマーケットでの出店)

 そんな家を陶器で作ったのがリヒトハウスで、ただ家をかたどっただけの白一色の実用品もたくさん売られていますが、このように嗜好品として作られるものもたくさんあります。しかも、一つ一つが手作りです。正確に言えば粘土をかたどって人の手で成形するので、ハーフ手作りなのですが、それによって値段も抑えられているようで、私にも手が届く金額設定になっています。ドイツに居ればアマゾンで簡単に数千円で買えます。日本の古民家模型もいいのですが、たいてい一点ものの手作りで、数万円するので、趣味にしようとは思いませんでしたが、こちらなら一回の居酒屋代くらいで一個買えるのがありがたい。私は酒が飲めないので、その分をつぎ込むことができます。

 ただ壊れ物なので、どのメーカーも直接日本には送れませんとのことでしたので、ドイツにいる間に一生楽しむだけの数を買ってまいりました。私は元来飽きっぽくて一つの趣味が長続きしないので(続いたのは哲学研究だけ)、それで十分かと思っているのですが。

しかしヨーロッパからの輸入雑貨には目がないはずの日本人が、なぜかこれには目を付けていないようで、ネットを見てもほとんどリヒトハウスのことは載っていません。「キャンドルハウス」という名でリトアニア産のものは扱っている業者がありましたが、ドイツのものは出てきません。そこで文化的間隙をうめるため、という大義名分で手に入れたお気に入りを紹介しようかと思っています。引っ越し荷物はいまはまだ海のどこかをさまよっているのですが、5月半ばには届くことになっています。面白そうと思った方は、ご期待ください。

(2019.5.10 黒崎剛)

第8話 クリスマスに対応する

アーヘン市庁舎までのクリスマス・マーケット

 クリスマスはその起源が何であれ、その思想的核心となっているのが、「イエスの生誕」です。である以上、それを抜いたクリスマスは、「釈迦の誕生を抜いた花祭り」、太宰治を抜いた「桜桃忌」、チョコレートのないチョコケーキと同じで、本来想像もできないはずですが、この想像もできない離れ業を日本人はここ数十年やってきました。そのために哲学に興味を抱く傾向をもつ日本人にとって、クリスマスは付き合うのが難しい行事のひとつとなっていました。哲学が好きな人というのは元来原理主義者で、思想的に潔癖な傾向をもっていますから、ある行事からその思想的核心を抜いて楽しむなどということができないのです。

 そのため、私のような、まさしく哲学的性癖をもって生まれた日本人は人生において3度、決断を迫られます。

 第一に幼少期。クリスマスケーキを拒絶するか?哲学少年にとって人生最初の試練です。私の場合、小学生の頃ですが、疑問を抱きつつ、いただきました。なぜなら、その昔、やっと不二家が生クリームのケーキを出したころ、それは特別なお菓子で、クリスマスの時にしか奮発してもらえないものだったからです。いつもはバタークリーム。これはこれでおいしいのですが、初めて口にした生クリームの、あの身をうち震わせるような感激を経験した子供にとっては、選択肢はないので、悩みもなし。

 第二に青年期。青年はことに潔癖性を尊ぶゆえ、問題は深刻化します。特に哲学的青年にとっては恋人ができたとき、12月24日(25日はどうでもいいと言うところが、思想的に支離滅裂なところ)をどう過ごすかが人生最大の悩みでしたか。思想を採るべきか、性を採るべきか?女性の場合は、哲学青年でも、「イベントとして捉えている」という分かったようなわからないような理屈で難なくスルーしている人が多かったようです。男の哲学青年は全国的に恋人がいない率が大変高い傾向にあって、問題自体が発生しないという人も多かったようです。お前もそうだろう、と言われそうですが、ほぼその通りかな。とはいえ、どうしたらいいのか悩むことはなかったわけではないです。まあそんなときはクリスマスを祝うふりをして、心のなかでは平時と変わらず様に過ごしました。

 第三に、家庭をもった時。特に私のように、複数の女児をもった場合。これはもう無理です。それこそ哲学青年女性のように「イベントとして捉えている」とスル-するしかありませんね。

 日本にいるときはそれで何とかなっていたのですが、ドイツに渡るとちがってきます。 ドイツにいくらイスラム教徒が増えても、キリスト教徒が教会に行かなくなっても、やはりクリスマスは生活の核心となる重要な行事です。なにしろ彼らは1年の6分の1をクリスマス関連で過ごすのです。

 その最たるものが「クリスマス・マーケット」(ドイツ語ではWeihnachtenmarkt)と呼ばれる市です。これは11月に入ると始まって、基本的に12月23日、長いところでは(私の住んでいるデュッセルドルフがそう)30日、または正月明けまでやっています。実は私、ヨーロッパにこんなものがあるとはこちらに来るまで知りませんでした。どうやら世界的に有名で、このマーケットの発祥がそもそもドイツだということで、外国からのツアーまであって盛況だそうです。

 まずいことに(うまいことに?)私の住む近隣にアーヘンとケルンがあって、どちらも世界5大クリスマスマーケットに数えられるのだそうです。話のタネにでもしようという気持ちで、まずアーヘンの方へ行ってみました。要するに日本でいう「縁日」と遊園地と博覧会を重ねあわせたものです。飲食ととともにいろいろな工芸品が制作・展示されるので、下戸の私はもっぱらマイスターたちの作品を楽しみました。すっかりはまってしまったものもあるのですが、それはまたそのうちに。昼間からもやっていますが、夜になると華麗な電飾がどっさりともされ(この時ばかりはドイツ人の環境保護意識も跳ぶらしい)、無数の屋台が立ち並びます。屋台も基本的には簡素な造りなのですが、中世風の家を模したかわいい(←私が言うと気持ち悪いでしょうが、耐えてください)つくりで、しかもアーヘンやケルンの場合には大聖堂や市庁舎という堂々たる大建築をバックにしていますので、まさにメルヘンの世界(←もう一度耐えよ)です。

デュッセルドルフ会場の観覧車

 かくしてクリスマスに浸りつつ、今自分が置かれている状況を考えてみました。

 私が置かれていた状況は誠に原理主義者としては恥ずかしいものです。これがクリスチャンならば、どんなにクリスマスでどんちゃん楽しんでも、最後にキリストの生誕のお祝いだと言ってまとめて自分の良心と折り合いをつけることができます。では非-クリスチャンはどうするか。やはりここはあきらめてキリスト教に帰依するしかないのか。

 宗教的支配者が民衆にその信仰を浸透させようとする場合、日本の仏教用語を使うと、「荘厳」という作戦をとります。寺院や像を華麗に飾りたてて、民衆の度肝を抜き、ありがたやと思わせるやり方で、もちろん宗教とは関係なくても権力者が壮麗な王宮などを立てるのも同じ作戦です。で、たいていの民衆はその通りに度肝を抜かれておとなしくなってしまうのです。現代でもこの作戦はありますが、今はそれとは違ってある種の雰囲気というものが「荘厳」に代わって通用するようです。それがつまり、例えばクリスマスのロマンチックな雰囲気心を味あわせて、キリスト教徒になる垣根を低くするなどといったことにあたりますか。

 しかし日本人は手ごわい敵で、どんなにクリスマスに酔ってもクリスチャンになろうなどとは思わず、クリスマスが終われば盆暮れ正月ですわとすぐ気分転換してしまう人たちです。原理主義者としては、若い頃はこの手の人たちの節操のなさが耐えきれなかったのですが、今では評価が変わっていて、宗教というものをかのようにスルーする力というのは、現在の人類のなかではなかなか貴重なのではないかと思えてきました。原理主義と宗教が結びつくと、時々とんでもないかたくなな思想が生まれ出てしまうことを私たちはよく知っています。もともと一神教は不寛容さと隣り合わせの思想ですので、それが悪い面で出れば、あの世に天国を示すことはできるが、この世に地獄を現出させることがあります。そんなことを思ってみると、世界の宗教行事を「イベント」と割り切って楽しむというのは、実はいまいちばん賢い行き方で、これからの人類の宗教に対する態度のヒントになるのではないかと思えてきました。一神教から多神教への回帰というより、初期ローマ帝国のような、宗教的寛容の精神がまた時代の要請になるのかもしれない。そうなると、あらゆる宗教行事をイベント化して流れに乗るという日本人のでたらめぶりがこれからの人類にとって正解かもしれないなとさえ思えてきました。日本でのここ数年のハロウィンの突然の普及ぶりを見ていると、そこまで寛容になれない気もしますが、私の場合、不覚にもクリスマスに浸ってしまったおのれを浄化するために、4月には花祭り(釈迦の生誕祭)をお祝いしようかと思っています。

(2019.1.23 黒崎剛)

第7話 ハイゲート墓地行/マルクスの墓参りを兼ねて

マルクスの墓

 私はいろいろとうかつなところがあるのですが、2018年はマルクスの生誕200年の年なんだそうです。うかつなことに半年過ぎるまで気が付きませんでした。話によると、生誕の地トリーアには中国からたくさんの人が訪れてにぎわったとか。中国にはまだマルクスが好きだという人がそんなにいるんでしょうか。

 トリーアには25年ほど前に行ったことがあるので、今回の滞在中には訪問予定なし。そのかわりにロンドンへ行った際に墓参りをしてきました。ヘーゲルの墓参りは同じく25年前に行っていますので、今度はマルクスのところへ。彼の墓はロンドンのハイゲート墓地にあり、これ自体が有名な観光地になっています。

 11月のはじめ、着いた時にちょうど墓地が開かれる時間で、広い墓地にただ一人、雨の中、風情のあるお参りでした。ハイゲート墓地は広大です。管理人が頼んでもいないのに当然のようにマルクスの墓の位置を教えてくれました。ここを訪れる人のほとんどがそれを目的としているようです。私は地図をもらったにもかかわらず迷子になりました。彼の墓は横町のはずれの方にあります。地図を見直してなんとかたどり着くと、木の陰から突然写真で見たことのある胸像が飛び出してきます。ここか。

 胸像そのものはかなり悪趣味に感じますが、墓碑銘に記された事実には胸を打たれます。一番上に夫人のイェニーさん、ついで夫君のカールさん、二人の孫のハリー君、そしてマルクスの子供を産んだという家政婦のヘレナさん、夫妻の娘のエレノアさんの五名の名が記されている。この下に彼らの亡骸が埋まっているはずです。

墓碑銘

 気が付くと、三々五々、こちらへ向かってくる人影。雨でも墓参りをしたいという人たちはやはりいるのです。年配のいかにもマルクスの研究者ふうの2人づれや、やはり2人づれの若い女性、昔の左翼活動家風の兄さんなど、ぼちぼちとやってきて、墓と対話をしているようでした。

 さて私は、墓地のなかを散策してみました。ヨーロッパにはエピグラム(碑文)という文学形式があり、それが記されている墓があるので、他人様の墓を見てまわるのに楽しみもあります。しかしここは文学形式の墓碑はほとんどなく、生年と死亡日、「いとしいひと、やすらかに」といったようなごく簡単な句が添えられている程度です。だけど墓にはじっさいはそれくらいがいいのです。「妻の思い出に」と書いてあるだけでもいろいろなことが想像されて、何か迫ってきます。ひとつだけとても文学的な句があり、感激して暗記しましたが、忘れてしまいました。「苦しみもなく…死神は…」といった句がとぎれとぎれに頭に浮かびます。安らかな死を慰めとしたのでしょう。

 墓地の静寂さというのは他には比較できないものがあります。死の静寂さですから、絶対性が感じられます。現代では日常から死が遠ざけれたという批判はありきたりですが、墓地を歩くといずれ自分もこうなるのか、ということが身近に想像できます。世界中に墓参りという習慣がなぜかあるのは、亡き人をしのぶばかりでなく、自分自身の覚悟を育てるためなのかもしれません。

 このハイゲート墓地の墓は、もちろん堂々たる石でできていて、立てた人たちは永遠の記念碑にしたかったのかもしれません。しかし、けっこうな数の墓石にはツタが絡まり、覆い尽くし、もう完全に自然に帰っている地区もあります。もちろん管理人はいるのでしょうし、花を植え替えている職人さんもいましたが、墓石の草を取り除く、という発想はないようです。これにはある意味感心しました。日本人は死は誰にでも訪れるもの、という説教を好みますが、その割には墓をよく管理するようです。草が生えようものなら住職に文句を言うか、自分で取り除くかするでしょう。草の生えた墓地は「荒廃」というイメージしかありません。ここでは草に侵食されるままに放っとかれるようで、それが思想的にそうなのか、ズボラで、あるいは遺族が絶えてそうなってしまったのかわかりませんが、ツタに覆われた墓石の一群を見ていると、自然と「立派な墓をたてたって最後はこの通り」とおかしくもなってきます。

草に埋もれゆく墓石

 突然、「人生到る処青山あり」(いたるところせいざん、と読むのですよ。「青山」はあおやまではなく、墓地のこと)という言葉を思い出しました。私の大学院時代の同級生が20歳代でこれを口癖としていて、いやというほど聞かされたのでひょいとでてきたのでしょう。自分の人生は短いことを覚悟している風であり、実際実にはかなげな男でしたが、まだ元気で生存中です。私も彼に30年遅れて同じことを呟き、何かを残したければ墓ではなくて、残るに値するものを残すことだな、と堂々巡りのようなことを考えました。誰もがマルクスのような業績を残せるわけではないけれど。

(2018.12.1 黒崎剛)

第6話 車内助け合い運動ドイツ版

こんなステップですから、ベビーカーや車椅子は大変

 ドイツにいて、「ここが市民社会のいいところだな」と素直に思えるのは、電車内で自然に市民同士が助け合っているところを見るときです。

 私はRheinbahn(ライン鉄道)というのを足代わりにしています。地下鉄ですが、平気で地上を走ります。しかし地上の駅にとまるときは、構造上ステップがかなり高くなり、ベビーカーや車いすでは昇ることができません。で、どうするのかというと、その時周りに居合わせた人たちが担ぎ上げたり降ろしたりするのです。少なくともドイツ人たちの間ではそれは特に「小さな親切」をしているという風でもなく、する方もしてもらう方もどちらも当たり前のことを当たり前にしているという感じです。

 それに街中では車椅子の人をよく見かけます。特にドイツに車椅子生活者が多いというのではなく、車椅子で出かけることのできる環境があるということでしょう。実際、ただ一人電車を待っている車椅子の人を、周りの人が当然のように持ち上げ、当人も当たり前のように持ち上げられているところも見かけます。もちろん「ダンケシェーン!」って言いますが。

 ときには理解できない光景も。或る初老のご婦人が座っているところへ、別なご婦人、それも座っている人と年恰好がほとんど同じとしか見えない人が来て、「そこに座らせてくれるかしら?」と言うと、座っていた夫人は不服そうな様子もなく、「どうぞ~」とさっさと立ちあがりました。日本だと譲った方は何となくバツが悪くて、離れたところに行ってしまうことが多いですが、立ったご婦人は何事もなかったかのように、すぐそばに立っており、座った女性も、何にも気にすることなくすましています。教えてほしい、あなた方はなぜ入れ替わったのか?

 外国人組はそのような有様を見てやはり感心する人も多いようで、この間は明らかにドイツ系ではないと見える或る青年が、女性のベビーカーのハンドルを握って、意気込んでいました。「次の駅に着いたらオレが下すぜ!」とやる気満々というところ。想像をたくましくすると、彼の母国ではそのような助け合いがなく、ドイツに来て何度かそういうところを私同様感心して張り切っていたのではないでしょうか。そばにいる赤ちゃんの母親らしき人も、まかせてしまって別に何の不安も感じていない様子でした。日本だったら、見知らぬ人にベビーカーのハンドルは取らせないでしょう。

最近、こんな記事をネットで読みました(記事自体は古いものですが)。電車の中で老人が席を譲らない若者に対して怒ったところ、こんな書き込みがネット上であったとか。

 「…だが、ネットでは若者に肩入れする声が目に付く。〈なんで上から目線で命令するのか〉、〈まさに老害〉、〈他人の善意を要求するのは無作法〉といった感情的な意見が並んだ。あるネット投票でも、今回のトラブルに関して「老人が悪い」が57%、「若者が悪い」が43%と“若者擁護”が上回った。/しかも、この若者はこんな書き込みもしている。/〈私は優先席を譲りません!!なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら『私はまだ若い』などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません〉。」(『「優先席譲れ!」で大炎上 けしからんのは若者か老人か』、「産経デジタル」、2016.12.7)

 こういう若者は日本だから生きていけるのでしょうね。身についていないことをやって失敗すると、簡単に傷ついてしまい、そのことを愚痴ると、「分かるよ~」と頭を撫でてもらえるんですから、いい社会だと思います。自分の習慣と化した市民的徳を実行するのではなく、社会全体でそうするのがいいとされているから、というわけでなんとなく行い、やれば社会からほめてもらえると思い、ほめられないと拗ねてしまうというのは、前にも述べましたが、日本が共同体的ではあっても、市民社会的ではないことの現われなんでしょう。

 もっとも、ヨーロッパだからと言って、どこでも席を譲っているわけではなさそうです。イギリスの地下鉄には優先席がちゃんともうけられています。それにドイツ全域でそうなのかも分かりません。感心して結論を出す前に、もう少し観察してみることにします。

 ちょっとドイツを持ち上げすぎたので言っておきますと、日本人の方がいいこともありますよ。例えばタバコのポイ捨て。日本ではここ20年くらいの取り組みでだいぶ減りましたが、ドイツ人はやりたい放題としか思えません。いまだに火のついたやつを古い映画のシーンみたいに捨てている人を良く見かけます。石造りの家が多いので、そう簡単には火事にならんのでしょうが。そうそう、この間私の娘が道に吸殻が多いのに気が付いて数え始め、少し行っただけで100本を超えてしまい、この子は100以上の数え方がまだよく分かっていないのでやめてしまうということもありました。

 この道徳的ギャップは何なのですかね。

(2018.11.01 黒崎剛)

第5話 研究ノート:「ドイツ連邦共和国における先導文化(Leitkultur ライトクルトゥーア)論争」連載開始にあたって

ケルン大聖堂の前の広場で、各国の国旗を描いている大道芸人。見物客は、自分の国の国旗の絵のところにコインを置く。ケルンは移民問題で緊張している都市のひとつである。

 ドイツにいる間、現在のドイツの状況をよくあらわす思想問題として調べて帰りたいと思っているものがあります。それは、ここ20数年断続的に起こっている„Leitkultur-Debatte“(「先導文化論争」)というものです。この論争は、簡単に言えば、移民たちに従うように要請できるドイツ固有の文化的原則die deutsche Leitkulturというものがあるのか否かをめぐる論争です。

 なぜヘーゲルとか弁証法とかを中心課題にしている私がこの問題に関心を持っているのかというと、それがまさに自分のその中心課題に関わっていると感じているからです。つまり、ヘーゲル論として論文を書いているだけでは本当はあまり意味はなくて、こういう個別問題にきちんと対応できるようになってこそ、哲学研究というのは本物だと思っています。

 ところが、いまのところ私はヘーゲル研究が終わっていないので、なかなかそれに着手する時間がありません。しかもこの問題はかなりジャーナリスティクな側面を持っており、些細なことをよく調べなければならず、即座に断言できるような結論を得られないこともあり、また相当時間も取られてしまうことから、興味はあってもなかなか手を付けられないでいたのです。

 しかしヘーゲル研究を仕上げてから、などと言っていると、いろいろな時事的問題について発言する機会をどんどん失ってしまいます。私は1990年以来、多くの時事問題について発言したくてうずうずしていたのですが、ひとまずヘーゲル研究者として認められてから、などと思っているうちに、自分の言いたいことなどもっとクレバーな人々がどんどん発言してくれるので、結局何も表明しないでやり過ごす、ということが多かったのです。それはそれで目前の地味な研究に専念できるから悪いことでもなかったのですが、同時に自分がやりたいことを人任せにしているようで、役立たずのような寂しさもありました。実際役立たずな人間なのですが。

 そこでドイツに来たのをいい機会として、アカデミックな体裁にこだわらず、研究エッセイとしてこの論争について自分なりの考察を披露してみる気になりました。月に1.2度、帰国するまで5~8回くらいで完結させようと思っています。たぶん予定通りにならないでしょうが。とりあえず、近日中に第1回目を載せます。

第4話 フランスの宮殿を見て思う

ヴェルサイユ宮殿。このずっと手前で火あぶりになっていました。

 前回、ちょっと経験しただけで妙に実感できた気がすることがあるものだという話をしましたが、この間フランスに行ったときも同じことをおもいました。パリです!非常勤暮らしが長かった私は一生見ることのない花の都かとあきらめていましたが、生きててよかった。

 ところが日本と同様、ヨーロッパも近年にない猛暑で、死なないように注意しなければなりませんでした。その猛暑の一日、ベルサイユ宮殿を訪れました。前売り券を買っていったにもかかわらず優に100分は王宮の前で並びます。さえぎるもののない広々とした空間で、史上最強と思われる太陽光線を贅沢に浴び、気分はなんだが王宮まで必死の陳情に来た結果、つかまって火あぶりになった貧民のようです。

 もう一つ、ルーブルにも行きました。ここも元王宮だったとのことで、豪華広大です。モナリザの前で、東洋人の女の子が柵を乗り越えて記念撮影をしようとし、笑顔でポーズをとったところを、警備員の女性につまみ出されていました。ポーズをとって笑顔のままで。

 この王宮を二つ見て、ある感想が湧いて出ました。つまり、「フランス人が革命を起こしたのは分かるよ~」というもの。

 私もフランス革命はとても好きで、詳しく調べてはきましたが、それはあくまで知識としてです。心から理解できなかったことは、なぜあの時代、サン・ジュストのような真正のテロリストが生まれたのか、ということでした。「王が死ななければならないのは、王であるからだ」というすさまじい彼の理屈はどこから生まれたのか?あのどこか人の好いルイ16世を眺めていて、そこまで残酷になれるものか?これまでは彼のことは若気の至りでロベスピエールにかぶれた酷薄なテロリストとしか思っていませんでしたが、この理屈を突然「そうかもしれない」と思えたわけです。

 私は炎天下で気力を失いましたが、当時のフランス庶民はもっと落胆していたはずです。私は退職後の資金がなくて、下流老人化必至とうそぶいていますが、それ以上に当時の彼らは生活の目途が立たず鬱になっていたはずです。そんな彼らにあの桁外れの王宮たちはどう見えていたのか。

 まさしく貧富の差のそのものの対象化であったでしょう。そこにすむ王はその生きた象徴とみえたでしょう。その存在そのものを抹殺しないと世の中は作り変えられない。その過激な思想はその時にあっては過激でもなんでもなく、人々が心から賛同することができるものだったのではないかと、腑に落ちる気がしたわけです。

 私はヘーゲルの歴史哲学を読むといつもわくわくしますが、そうした興奮を呼び覚ます理由は、あれが革命史観そのものだったからです。しかもフランス革命史観です。貧富の差の拡大が革命を引き起こすまで行くかどうかは歴史上の偶然です。かってはその自己矛盾のゆえに、資本主義社会は必然的に革命を引き起こすのだと言われて誰もが興奮していた時代がありましたが、現在のわれわれはもう少し冷静になって、貧富の差がいくら広がっても、それが革命という暴力に解決を求めたのは少なくとも近代世界においては例外的で、一つフランス革命があっただけだと言っていいでしょう。それだけにフランス革命は世界史上の特異例として、人類の本質を物語るものとして、我々の興味を引きます。この特異例を一つの史観にまで仕立て上げたのは、ヘーゲルの力技でした。それだけに考えさせられることはたくさんあります。例えば、ヘーゲルはフランス革命のテロリズムを肯定していたのか否か。

 「王は王であるがゆえにしななければならぬ」という感覚を西欧の思想家はずっと持ち続けていて、思想の世界ではテロルは必ずしも否定されませんでした。むしろ「革命とテロル」は重要な問題として常に哲学者たちの念頭にありつづけました。日本でも石川啄木は「われは知る、テロリストの悲しき心を」と歌っています。つい最近まで、テロルは言葉を奪われた人々の政治行動の一種とみなされ、半ば肯定されていたわけです。

 しかし9.11以来、テロは憎むべき残忍な無差別殺人にすぎないものの名称になり、政治的目的達成の手段としては完全に否定されました。それでもフランス人はフランス革命を誇りに思うのでしょう。では、フランス革命はテロリズムではないかと言われたら、フランス人は何と答えるのでしょうか。そしてそうした動向は歴史哲学にどのような影響を及ぼすのでしょうか。私も近いうちに答えを出したいと思っています。

第3話 豚肉と世界史

「世界一長いバーカウンター」の異名を持つライン河畔の飲食店街

 ドイツでは肉と言えば主に豚です。その豚肉が獣くさい。豚はあれほど体毛を失っているくせに、やはり毛ものであったのです。毛ものの肉が獣くさいものだということを実感しました。もちろん気を使って料理すれば消えるし、ドイツ流に扱えば大丈夫なのかもしれませんが、日本にいたときと同じ扱いで料理するとダメみたいです。この間日本食レストランで家人がカツ丼を注文しました。でてきたものは、ドイツ基準の量なのでしょう、カツが2枚。一人では食べきれないので、私も半分いただくことにしました。しかし、二、三キレ口にしたらその臭いにハシが止まりました。吐き気さえ催し、大部分を残してしまいました。評判のいい店ではなかったのかもしれません。日本人は私たちだけでしたので。ほかの方たちはあれを日本料理だと思って食べているのでしょうか。

 もしかしたらはじめて豚肉に接した数世代前の日本人も同じ体験をしたのかも知れません。彼らは臭いを香辛料を使って料理の過程で消すのではなく、肉そのものの臭みを抜くことを第一に考えたらしい、というのが面白い発見です。日本にいるとき利用していた或る組織の宅配では、たしか「米ブタ」というのがあって、ブタにコメを食わせて臭いの少ない肉にしましたというのを売りにしていたように思います。毛ものから獣くささを消すというのは、よく考えたら異常な発想なのかもしれません。これはもしかしたらご先祖様たちにとってブタ肉のというのもが新しい食べものだから考え付いたのでしょうか。それほど肉の臭さに耐えられなかったのですかね。

 古くから豚肉を食べているドイツ人では、毛ものは獣臭いものということを当然と承認しているのかも知れません。とはいえ臭いものは臭いと見えて、多量の香辛料を使ってソーセージなどにするのは周知のとおりです。

 ここで私ははたとひざを打ちました。子供のころ、歴史の授業で大航海時代の始まりを習っていた時、ヨーロッパ人はインドの香辛料、特に胡椒を求めて海に乗り出したと先生が説明してくれた時、思いました。「コショウごときで?」――そんなつまらないものを求めて生死をかけた航海に乗り出すなど、当時はまるで理解できなかったし、今の今まで本当に理解してはいませんでした。しかし大好きな豚肉をおいしく食べるために命を懸けてコショウごときものを求めてインドにまで行ったのかと思うと、歴史を動かす情熱というものがこちらで豚を食べてみて少しわかった気がしました。

 ところで、先のカツ丼を食べた店では、サバの塩焼きも頼んだのですが、これがまた魚臭くて食べられませんでした。魚というものは魚臭いものなんですね…。そこでまたひざを打ちました。もしワサビが日本で栽培できなくなったら?その場合、日本人もワサビごときのために波濤に身を投げ出すのではないでしょうか。「コショウごときで?」という四十数年来の疑問が解けたのかもしれません。

 この答え、間違っているのかもしれませんが、歴史を動かすものはコショウのような偶然的なものでもありうるのだということは、普段あまりに理論的に、普遍主義的に歴史を考える私などは、気を付けて反省してみることだと知らされました。

 まずい料理屋に感謝――はしません。

 

終わり。

第2話 埼玉かデュッセルドルフか――自然の風景・精神の風景(その2)

・第2話「埼玉かデュッセルドルフかーー自然の風景・精神の風景(その1)」の続きです。

立派なドイツの集合住宅

 前回何が言いたかったのかというと、自然や植生に詳しくない私がラインを利根川だと思ってしまうのは、自然ではなく文化的なものの方が差異を認識しやすいという簡単な理由です。文化のような精神的存在がなければ、私のような人間は埼玉とドイツの都市の区別がつかなくなってしまうわけです。

 ドイツにいて感心するのは、住宅がまあ立派なこと。多くが集合住宅なのですが、日本のようにどんなにおしゃれにしてもその実態は無機質な箱型であるというのではなくて、煉瓦造りの家々は一軒一軒個性を持っていて、見飽きることがありません。そのうちの一軒がわが住居の近くにあるのですが、私は散歩に行くとよくその家の全景を眺めています。上の写真がそれです。

 ところで、ある日まことにそのようなドイツ的風景を楽しんでいると、うん?寺!?、寺ですよねこれは!

お寺のある北関東の光景?二つは10メートルと離れていない。

 というわけで突如として重厚なる古典的ヨーロッパ風景がなじみの北関東的光景に変わりました。何ものかと回って訪ねてみると、某「日本文化センター」が建てたお寺のようです。相当本格的で、「名刹」といった雰囲気です。こういう精神的存在があれば、一気にヨーロッパが日本になってしまうわけですね。

 こういうのを「精神」的存在というと誤解をまねくに違いないので、別な便利な言葉として「第二の自然」といってもいいでしょう。例えば日本人が愛する「里山」の環境。あれはヘーゲルの用語では自然的存在ではなくて、精神的存在です。天然自然には存在しないものが人間の自己意識的な努力によって実現しているわけですから。よく日本人は自然を愛する民族だなどと言われますが、あれもどうでしょうか。日本人が好きなのはこういう「第二の自然」であって、それは実は「精神的」なものです。

 私は、人間の手が加わらない自然という近代的概念を日本人は自覚で来ていないし、またそうした意味での自然に全く価値を置いていないように思えてなりません。そうでなければ、一方で「日本人は自然を愛する民族だ」などと言いながら、あれほどあっけらかんと自然破壊を続けることなどできるはずがないでしょう。そこにはなかなかの哲学的問題がありますので、またそのうちに。

 

第2話「埼玉かデュッセルドルフか――自然の風景・精神の風景」おわり。

 

第2話 埼玉かデュッセルドルフか――自然の風景・精神の風景(その1)

埼玉でしょうか?いいえドイツのお屋敷町

 ドイツの住居に来て電車にのり、車窓の風景を眺めていたところ、なんだか見たことあるなあという景色にしばしば出会いました。その風景が埼玉(私の故郷)や群馬(家人の実家)にそっくりであることにまもなく気づきました。というのも、ドイツの都市はどこも日本の都会と違って緑が多いので、車窓の風景はたいてい林、森、畑といったところなのですが、畑を田んぼと見立てれば、もうそれはそのまま埼玉の田舎的光景になるわけです。かのラインの流れるところが埼玉とはなんだ、と思われる方もいるかもしれないので、証拠写真も冒頭に挙げておきましょう。これは一軒家が立ち並ぶ、セレブ達が住まいする、ドイツのあるお屋敷町の光景で、埼玉の田園ではありません。

 それはライン河畔を歩いているときもそうで、「これはどこかで見たことあるなあ…」と思っていてまたはっと気がつきました。これはわが故郷を流れる利根川の光景ではないか。するとデュッセルドルフはドイツの埼玉なのか。

 しかし、そんなことを考えていた時に、油断していたら目の前に羊の群れです!埼玉には羊はいない(たぶん)。これはやはり異国の光景だと感じ入っていたところ、羊の群れが移動し、やがてライン川をはさんで向こう岸に「旧市街」とよばれるところを背景にしました。なんと見事な…ここはまさしくヨーロッパですね。もはや利根川の面影はありません。(もちろん利根川の光景もいいものですよ。)

ライン河畔

 実は車窓の光景の場合も同じことが起こっていて、窓の外にいかにも朱の煉瓦でできた家が見え始めると、途端にドイツになります。これはこの間フィンランドに行った時も同じことを経験しました。タンペレというフィンランド第二の都市だというのですが、行く途中の車窓はまさに埼玉・群馬・茨城がいっぱいでした。しかしそこかしこにムーミンにでてくるような明るい黄色や朱色の箱のような家がでてくると、ここは北欧なんだなあという感慨ががぜん湧いてきます。

 こう書くと、いかにも私が自然に関心がない人間であるかのように思える。実際そうなのですが、しかし実はヘーゲルもそんなことを言っています。自然というものはそれ自体では何物でもなく、「精神」の契機となって意味を持つのだと。

 ヘーゲルのこの発想は典型的な近代主義のようですが、そうでたらめでもありません。というのも人間の精神はそもそも精神的なものに強く反応するからです。自然に反応するのは実は相当文化的な訓練を積んだ人、自然というものに対して自覚的に向き合っている人たちだけです。たいていの人は、自然だと思って「精神」的存在に反応しているのです。この場合ヘーゲル的な意味での「精神」というのは、心の在り方という観念的なことではなくて、人間が自然を加工してつくりあげた一切のものを指すと言っておけばいいでしょう。ヘーゲルのいう意味では目の前にあるお饅頭一個も「精神」の現れです。これに対して自然そのものというのは近代になって初めて人間が自覚した存在で、「客観的なもの」を自分の主観性に対する存在だと意識できるようになって初めて理解できる存在です。だから例えば日本人は明治になって「登山」という概念と習慣が輸入されるまで、「山」を一顧の自然とみて、そこで楽しもうなどという発想がなく、山は生活の場であり、信仰の対象でしなかったわけです。

(続く)

*続きはこちら→第二話 埼玉かデュッセルドルフか――自然の風景・精神の風景(その2)

 

第1話 黒い乗客と主体性(その3)

・第1話「黒い乗客と主体性(その1)」

・第1話「黒い乗客と主体性(その2)」の続きです。

ライン河畔。

 ドイツ語には「社会」にあたる言葉が二つあります。ゲマインシャフト(Gemeinschaft)とゲゼルシャフト(Gesellschaft)です。前者は「共同体」、後者を「社会」と訳すとニュアンスが伝わるかもしれません。ゲマインシャフトは家族のような団体を指し、ゲゼルシャフトは、例えば近代の「市民社会」と言えばdie buergerliche Gesellschaftであって、決して die buergerliche Gemeinschaftとは言いません。つまりどうやら日本社会はゲゼルシャフトであるはずなのにゲマインシャフト的に運営され、ドイツを含む西欧社会ははるかにゲゼルシャフト的だと言えそうです。どちらがいいのかは言えないのではないかと思われるかもしれませんが、私は本来の意味で成熟した「社会」の在り方はゲマインシャフト的であるべきだと思っています。そういう意味では日本の方が本来の社会に似ているのですが、似ているのは形だけで、その社会性は近代という試練にまさにこれからも耐えなければならない原初的な共同性、これから先になってゲゼルシャフト的威力にさらされてどんどん解体されていく共同性です。その意味で日本はまだ真の社会ヘの出発点からそんなに遠くないところにとどまっていのだと言えます。西欧はそこから進んですでに共同体的性格をどんどん解体していって、最終的な共同体への通過地点としての市民社会にまですすんでいると言うことができましょう。これはまさに弁証法的過程ですね。

 しかし私たち外国人は、ドイツにやってくると、こうした主体性文化に自分を合わせることを求められ、ぐずぐずしていると60ユーロの罰金をくらわされるわけです。そうはいっても私も慣れ親しんだ甘え文化からそう脱却できそうもありませんし、どうせすぐ帰るのだからということで、せいぜい「異文化交流」のレベルにとどまってもいいわけです。

 しかしながら、このことは、現在ドイツで大問題になっている移民政策にもちょっとかかわっていて、そうなると話は異文化交流などという甘い関係ではすみません。もし私が1年間滞在ではなく、10年とか15年、あるいは永住するつもりで来ているのだとすればどうでしょう。私は日本の甘え文化を捨て、西欧流の主体性文化に同化することを迫られるでしょう。昔から「郷に入れば郷に従え」、When in Roma, do as the Romans do(ローマにいるなら、ローマ人のようにふるまえ)ということわざがあります。一般論としては誰もそれに反対しないでしょう。しかしここで、私がたとえドイツ人になったとしても、捨てたくない日本人としての魂がある、などと言い出したら、ドイツ人はどう思うでしょうか。

 二通りの反応が考えられます。そういう態度を「一社会の中にいろいろな文化があるのは素敵だ」と許容する場合(多文化主義、Multikulturalismusと言っていい)と、「ドイツに来たからにはドイツのやり方に従うべきだ」という場合(統合Integrationを第一とする立場)です。思想的には、この対立が現在のドイツのやっかいのタネになっています。この問題を巡っても論争も起きました。Leitkultur Debat(先導文化論争)と言い、1990年代後半からいままで断続的に続いていて、終わるのかと見えたら再燃しなかなか収束する様子が見えません。これについて私はこの滞在中の研究課題に挙げているので、このHPのどこかで考察することにして、最初の無知話はここまで。

 いやあ~、いきなりこんなパンチを食らって、いいレッスンだったと思います。自分が研究課題としてもっていったことを身をもって体験できたわけですから。でもレッスン料は高すぎましたね。

 

第1話「黒い乗客と主体性」おわり。

 

第1話 黒い乗客と主体性(その2)

・第1話「黒い乗客と主体性(その1)」の続きです。

罰金60ユーロの警告文。約7800円。

 二度目は私の在外研究受け入れ機関であるルール大学へはじめて行く途中でのこと。ルール大学はボーフム中央駅から乗り換えていくのですが、ここで私は間違えてルール大学と反対方向へ乗っていました。そこで検察に見つかり、逆ですよと注意される。そこまではダンケシェーン(ありがとございま~す)なのですが、切符を調べられたところ、これはダメだといわれました。切符はネットで買っていたのですが、ボーフム中央駅までしか有効ではないもので、それから先は切符を買い足さなければならない。つまり東京駅まで有効だが、23区内には行けないといったような切符を私は買っていたわけですね。ところが今度の検察はなかなか物腰が柔らかく、いろいろ説明してくれた上で、ドイツ鉄道にメールを出せという。なんだ、なかなか親切じゃないかと思っていたらそうではなくて、今回はパスポートを持っていて(前回は所持していなかった)それを提示したので、正体をつかまれていて、逃げられる心配がないわけです。それで即罰金とはならなかったらしい。そこで言われたとおり後でメールを出すと、返事が郵便で来て、けしからんやつだが、我々の特別の「好意をもって」、30ユーロにまけてやろう、という内容でした。払うときに10ユーロも手数料を取られたので、結局ひと月の間に100ユーロを払ったことになります。合計約1万3000円でした。

 これがドイツに来ての最初の衝撃でした。あほですか、という声が聞こえてきますね。実際そこでようやくググってみますと、この検札についてはあちこちで注意喚起されていますので、私の無知ぶりが際立つ事件となりました。でも、そのおかげで実感をもって体験できたのが、日本とドイツ(というより西ヨーロッパ)の基本的な「哲学」あるいは、根底的な「文化」のあり方の違いというべきもの――「主体性」の違いです。

 日本の鉄道ではこんなことはおきません。なぜなら間違いが起きるのを未然に防ぐという無意識の思想があるからです。まず切符を買わないでホームに行くことができません。私はこれまでそれは無賃乗車を防ぐシステムだとばかり思っていましたが、ドイツ流と比較すると、「罰金を払わなければならないような間違いをあらかじめ防ぐのだよいことだ」という哲学が暗黙のうちに含まれていることがわかります。さらに電車に乗った後でも、切符をもっていなかったり、料金が足りなかったりしても罰金を払わせるという発想がありません。ただ不足分を徴収されるだけですし、わたしたちはそれを見越して電車の中で切符を買おうと思って乗るということさえできます。(ただしドイツでも車内に自動販売機が設置されています。とはいえ検札が来た時点で買っていなければ、問答無用で罰金です。)ドイツ、正確に言えば、フランスも大体にような制度だそうですから、西ヨーロッパの発想はまるで違います。あくまでも自己責任なのです。日本のやり方は、イメージとしては母親が子供をくるむように保護するという発想ですが、西欧のやり方は各人の主体性に任せて、失敗したら責任を取らせるという哲学です。よく言われるように日本は「甘え」を許し、西欧はそれを排斥します。西欧のやり方で各人に求められているのは「主体性」です。何事も各個人の自発性、倫理性に基づいて行われることが社会に生きる個人のあり方だという近代の思想が制度化されています。日本のやり方は、主体性を個人に求めるのではなく、社会全体がそれを体現すればいいという発想です。西欧の個人主義と日本の社会主義(政治制度としてのそれではない)がよくあらわされています。

(つづく)

*続きはこちら→・第1話「黒い乗客と主体性(その3)」

 

第1話 黒い乗客と主体性(その1)

これが「ラインバーン」。だいたい地上を走る地下鉄。

 ドイツに来て何が困ったかといって、日々使う鉄道の乗り方です。切符の買い方からして分からない。日本でならば、どこにいっても駅の切符販売機の上あたりに丁寧な路線図が掲げられていて、自分の行き先さえ知っていれば、いくらの切符を買えばいいかわかる。そういうのがとても親切なことなのだとはドイツに来てはじめて分かりました。駅には赤い自販機がおいてあります。路線図の代わりにこの機械には目的地を打ち込む欄があり、それでいくらの切符を買えばいいかわかる。…はずなのですが、機械にプログラムされた行先は限られていて、最初のうち、私のすみかの最寄駅の名を入れてもなにも出てきませんでした。あとで分かったことですが、ドイツではある一定の区域内では一律の料金をとるために、その区域内の地名はいちいちプログラムされていないのです。そういうことを予備知識としてもっていれば何も問題はないのでしょうし、その程度のことは前もって調べておくべきなのでしょうが、スマホを持たない、パソコンを持ち歩くのを面倒がる私にはその場では調べようがありません。駅のインフォメーションで聞いても要領を得ないので、最初のうちは券売機の最初にでてくる2.8ユーロの切符を買って乗っていました。それは結果として正しかったのですが、無知ゆえの異文化体験が間もなく始まろうとしていたのでした。

 ちなみに情けないのは私だけではないのです。赤い券売機の前で途方に暮れる日本人らしき青年を何度も見ています。スマホ所持の彼らは事前にちゃんと鉄道の乗り方を調べてきているはずですが、それでも実物を目の前にすると困惑するものらしいです。そんな時私はそっと近くのベンチに腰掛けます。機械の操作をあきらめた若者はやがて私に気づき、Entschldigung!(すみません)と知っている数少ないドイツ語単語で話しかけてきます。私が日本人であることを確認するとみんな喜びを表して、切符をどう買っていいのかわからないんですう~と訴える。私は優しく教えてあげます。教えている当の本人がよくわかっていないことは秘密ですが、私もときどき役に立つでしょう。

 さて、ドイツに来て間もないある日、私はドイツでも大人気のIKEAにいって、生活道具を買い整えていました。なにしろ資金に乏しいので、1ユーロでも安いものを探す。希望の金額から1ユーロでも高いものは買わないという徹底した倹約ぶりを発揮して、どうしても必要なものを最安値で買って帰る道でした。ああ今日もいい倹約をしたなあと満足して、買い物疲れか、切符を買うのを忘れて電車に乗ってしまいました。

 ここでドイツの電車の乗り方を説明しておと、ドイツには日本でいう改札というものがありません。ではどこで切符を買って乗っているのかを調べるかというと、私服の検札の係りが時々見回って、切符を確認するのです。不正が発覚すれば、60ユーロ(約7800円)の罰金です。検札にはめったに出くわすことはないのですが、私はまさに切符を買うのを忘れたその時、初めて彼らに遭遇いたしました。これが私の運命なのでしょう。ドイツ語でのやり取りは困難を極め、相手は英語を解さないらしい。ここで私はまだ勘違いをしていて、事情を話し、正規料金を払えばよい、と考えていました。しかしそんなことはありえない。違反は違反、どうしたって違反で、罰金。1ユーロを惜しむ買い物をした後で、60ユーロ。

(つづく。)

*続きはこちら→・第1話「黒い乗客と主体性(その2)」

        ・第1話「黒い乗客と主体性(その3)」

 

ググらない生活

 2018年4月から、一年間ドイツに研究滞在することになりました。ろくろくドイツ語も話せないのになぜ?とは自分でも思うのですが、ドイツ語で話すということより、ドイツで呼吸することを重視したのだと言うしかありません。

 私のドイツの哲学を研究対象としてはいるものの、ドイツの政治・経済・文化についてはかなり無知です。しかし無知というのはときには知にまさるのでは?誰もがネットにすれば知りたいことを知ることができる時代にあって、無知のまま日々異文化にさらされ続けることはそれ自体が大した体験になるかもしれない。そんなことも知らないのか、と笑われるところに生まれる知もあるでしょう。

 私はわからないことがあってもグーグルで調べずすぐに人に聞くので、身近な方から「そういうのは『ググれ!カス!』って言われるんだ」と人間でないかのような扱いをされますが、面倒くさがりなので分からないことがあっても、すぐにググらない。哲学の世界ではソクラテスの無知の知というのが認識の出発点だとたたえられています。それならば、私も無知な人間は何に驚くのかということを率直に報告してみるとしましょう。

つづく。