2018年4月から、一年間ドイツに研究滞在することになりました。ろくろくドイツ語も話せないのになぜ?とは自分でも思うのですが、ドイツ語で話すということより、ドイツで呼吸することを重視したのだと言うしかありません。
私のドイツの哲学を研究対象としてはいるものの、ドイツの政治・経済・文化についてはかなり無知です。しかし無知というのはときには知にまさるのでは?誰もがネットにすれば知りたいことを知ることができる時代にあって、無知のまま日々異文化にさらされ続けることはそれ自体が大した体験になるかもしれない。そんなことも知らないのか、と笑われるところに生まれる知もあるでしょう。
私はわからないことがあってもグーグルで調べずすぐに人に聞くので、身近な方から「そういうのは『ググれ!カス!』って言われるんだ」と人間でないかのような扱いをされますが、面倒くさがりなので分からないことがあっても、すぐにググらない。哲学の世界ではソクラテスの無知の知というのが認識の出発点だとたたえられています。それならば、私も無知な人間は何に驚くのかということを率直に報告してみるとしましょう。
つづく。