第7話 ハイゲート墓地行/マルクスの墓参りを兼ねて

マルクスの墓

 私はいろいろとうかつなところがあるのですが、2018年はマルクスの生誕200年の年なんだそうです。うかつなことに半年過ぎるまで気が付きませんでした。話によると、生誕の地トリーアには中国からたくさんの人が訪れてにぎわったとか。中国にはまだマルクスが好きだという人がそんなにいるんでしょうか。

 トリーアには25年ほど前に行ったことがあるので、今回の滞在中には訪問予定なし。そのかわりにロンドンへ行った際に墓参りをしてきました。ヘーゲルの墓参りは同じく25年前に行っていますので、今度はマルクスのところへ。彼の墓はロンドンのハイゲート墓地にあり、これ自体が有名な観光地になっています。

 11月のはじめ、着いた時にちょうど墓地が開かれる時間で、広い墓地にただ一人、雨の中、風情のあるお参りでした。ハイゲート墓地は広大です。管理人が頼んでもいないのに当然のようにマルクスの墓の位置を教えてくれました。ここを訪れる人のほとんどがそれを目的としているようです。私は地図をもらったにもかかわらず迷子になりました。彼の墓は横町のはずれの方にあります。地図を見直してなんとかたどり着くと、木の陰から突然写真で見たことのある胸像が飛び出してきます。ここか。

 胸像そのものはかなり悪趣味に感じますが、墓碑銘に記された事実には胸を打たれます。一番上に夫人のイェニーさん、ついで夫君のカールさん、二人の孫のハリー君、そしてマルクスの子供を産んだという家政婦のヘレナさん、夫妻の娘のエレノアさんの五名の名が記されている。この下に彼らの亡骸が埋まっているはずです。

墓碑銘

 気が付くと、三々五々、こちらへ向かってくる人影。雨でも墓参りをしたいという人たちはやはりいるのです。年配のいかにもマルクスの研究者ふうの2人づれや、やはり2人づれの若い女性、昔の左翼活動家風の兄さんなど、ぼちぼちとやってきて、墓と対話をしているようでした。

 さて私は、墓地のなかを散策してみました。ヨーロッパにはエピグラム(碑文)という文学形式があり、それが記されている墓があるので、他人様の墓を見てまわるのに楽しみもあります。しかしここは文学形式の墓碑はほとんどなく、生年と死亡日、「いとしいひと、やすらかに」といったようなごく簡単な句が添えられている程度です。だけど墓にはじっさいはそれくらいがいいのです。「妻の思い出に」と書いてあるだけでもいろいろなことが想像されて、何か迫ってきます。ひとつだけとても文学的な句があり、感激して暗記しましたが、忘れてしまいました。「苦しみもなく…死神は…」といった句がとぎれとぎれに頭に浮かびます。安らかな死を慰めとしたのでしょう。

 墓地の静寂さというのは他には比較できないものがあります。死の静寂さですから、絶対性が感じられます。現代では日常から死が遠ざけれたという批判はありきたりですが、墓地を歩くといずれ自分もこうなるのか、ということが身近に想像できます。世界中に墓参りという習慣がなぜかあるのは、亡き人をしのぶばかりでなく、自分自身の覚悟を育てるためなのかもしれません。

 このハイゲート墓地の墓は、もちろん堂々たる石でできていて、立てた人たちは永遠の記念碑にしたかったのかもしれません。しかし、けっこうな数の墓石にはツタが絡まり、覆い尽くし、もう完全に自然に帰っている地区もあります。もちろん管理人はいるのでしょうし、花を植え替えている職人さんもいましたが、墓石の草を取り除く、という発想はないようです。これにはある意味感心しました。日本人は死は誰にでも訪れるもの、という説教を好みますが、その割には墓をよく管理するようです。草が生えようものなら住職に文句を言うか、自分で取り除くかするでしょう。草の生えた墓地は「荒廃」というイメージしかありません。ここでは草に侵食されるままに放っとかれるようで、それが思想的にそうなのか、ズボラで、あるいは遺族が絶えてそうなってしまったのかわかりませんが、ツタに覆われた墓石の一群を見ていると、自然と「立派な墓をたてたって最後はこの通り」とおかしくもなってきます。

草に埋もれゆく墓石

 突然、「人生到る処青山あり」(いたるところせいざん、と読むのですよ。「青山」はあおやまではなく、墓地のこと)という言葉を思い出しました。私の大学院時代の同級生が20歳代でこれを口癖としていて、いやというほど聞かされたのでひょいとでてきたのでしょう。自分の人生は短いことを覚悟している風であり、実際実にはかなげな男でしたが、まだ元気で生存中です。私も彼に30年遅れて同じことを呟き、何かを残したければ墓ではなくて、残るに値するものを残すことだな、と堂々巡りのようなことを考えました。誰もがマルクスのような業績を残せるわけではないけれど。

(2018.12.1 黒崎剛)