第1話 黒い乗客と主体性(その1)

これが「ラインバーン」。だいたい地上を走る地下鉄。

 ドイツに来て何が困ったかといって、日々使う鉄道の乗り方です。切符の買い方からして分からない。日本でならば、どこにいっても駅の切符販売機の上あたりに丁寧な路線図が掲げられていて、自分の行き先さえ知っていれば、いくらの切符を買えばいいかわかる。そういうのがとても親切なことなのだとはドイツに来てはじめて分かりました。駅には赤い自販機がおいてあります。路線図の代わりにこの機械には目的地を打ち込む欄があり、それでいくらの切符を買えばいいかわかる。…はずなのですが、機械にプログラムされた行先は限られていて、最初のうち、私のすみかの最寄駅の名を入れてもなにも出てきませんでした。あとで分かったことですが、ドイツではある一定の区域内では一律の料金をとるために、その区域内の地名はいちいちプログラムされていないのです。そういうことを予備知識としてもっていれば何も問題はないのでしょうし、その程度のことは前もって調べておくべきなのでしょうが、スマホを持たない、パソコンを持ち歩くのを面倒がる私にはその場では調べようがありません。駅のインフォメーションで聞いても要領を得ないので、最初のうちは券売機の最初にでてくる2.8ユーロの切符を買って乗っていました。それは結果として正しかったのですが、無知ゆえの異文化体験が間もなく始まろうとしていたのでした。

 ちなみに情けないのは私だけではないのです。赤い券売機の前で途方に暮れる日本人らしき青年を何度も見ています。スマホ所持の彼らは事前にちゃんと鉄道の乗り方を調べてきているはずですが、それでも実物を目の前にすると困惑するものらしいです。そんな時私はそっと近くのベンチに腰掛けます。機械の操作をあきらめた若者はやがて私に気づき、Entschldigung!(すみません)と知っている数少ないドイツ語単語で話しかけてきます。私が日本人であることを確認するとみんな喜びを表して、切符をどう買っていいのかわからないんですう~と訴える。私は優しく教えてあげます。教えている当の本人がよくわかっていないことは秘密ですが、私もときどき役に立つでしょう。

 さて、ドイツに来て間もないある日、私はドイツでも大人気のIKEAにいって、生活道具を買い整えていました。なにしろ資金に乏しいので、1ユーロでも安いものを探す。希望の金額から1ユーロでも高いものは買わないという徹底した倹約ぶりを発揮して、どうしても必要なものを最安値で買って帰る道でした。ああ今日もいい倹約をしたなあと満足して、買い物疲れか、切符を買うのを忘れて電車に乗ってしまいました。

 ここでドイツの電車の乗り方を説明しておと、ドイツには日本でいう改札というものがありません。ではどこで切符を買って乗っているのかを調べるかというと、私服の検札の係りが時々見回って、切符を確認するのです。不正が発覚すれば、60ユーロ(約7800円)の罰金です。検札にはめったに出くわすことはないのですが、私はまさに切符を買うのを忘れたその時、初めて彼らに遭遇いたしました。これが私の運命なのでしょう。ドイツ語でのやり取りは困難を極め、相手は英語を解さないらしい。ここで私はまだ勘違いをしていて、事情を話し、正規料金を払えばよい、と考えていました。しかしそんなことはありえない。違反は違反、どうしたって違反で、罰金。1ユーロを惜しむ買い物をした後で、60ユーロ。

(つづく。)

*続きはこちら→・第1話「黒い乗客と主体性(その2)」

        ・第1話「黒い乗客と主体性(その3)」