第4話 フランスの宮殿を見て思う

ヴェルサイユ宮殿。このずっと手前で火あぶりになっていました。

 前回、ちょっと経験しただけで妙に実感できた気がすることがあるものだという話をしましたが、この間フランスに行ったときも同じことをおもいました。パリです!非常勤暮らしが長かった私は一生見ることのない花の都かとあきらめていましたが、生きててよかった。

 ところが日本と同様、ヨーロッパも近年にない猛暑で、死なないように注意しなければなりませんでした。その猛暑の一日、ベルサイユ宮殿を訪れました。前売り券を買っていったにもかかわらず優に100分は王宮の前で並びます。さえぎるもののない広々とした空間で、史上最強と思われる太陽光線を贅沢に浴び、気分はなんだが王宮まで必死の陳情に来た結果、つかまって火あぶりになった貧民のようです。

 もう一つ、ルーブルにも行きました。ここも元王宮だったとのことで、豪華広大です。モナリザの前で、東洋人の女の子が柵を乗り越えて記念撮影をしようとし、笑顔でポーズをとったところを、警備員の女性につまみ出されていました。ポーズをとって笑顔のままで。

 この王宮を二つ見て、ある感想が湧いて出ました。つまり、「フランス人が革命を起こしたのは分かるよ~」というもの。

 私もフランス革命はとても好きで、詳しく調べてはきましたが、それはあくまで知識としてです。心から理解できなかったことは、なぜあの時代、サン・ジュストのような真正のテロリストが生まれたのか、ということでした。「王が死ななければならないのは、王であるからだ」というすさまじい彼の理屈はどこから生まれたのか?あのどこか人の好いルイ16世を眺めていて、そこまで残酷になれるものか?これまでは彼のことは若気の至りでロベスピエールにかぶれた酷薄なテロリストとしか思っていませんでしたが、この理屈を突然「そうかもしれない」と思えたわけです。

 私は炎天下で気力を失いましたが、当時のフランス庶民はもっと落胆していたはずです。私は退職後の資金がなくて、下流老人化必至とうそぶいていますが、それ以上に当時の彼らは生活の目途が立たず鬱になっていたはずです。そんな彼らにあの桁外れの王宮たちはどう見えていたのか。

 まさしく貧富の差のそのものの対象化であったでしょう。そこにすむ王はその生きた象徴とみえたでしょう。その存在そのものを抹殺しないと世の中は作り変えられない。その過激な思想はその時にあっては過激でもなんでもなく、人々が心から賛同することができるものだったのではないかと、腑に落ちる気がしたわけです。

 私はヘーゲルの歴史哲学を読むといつもわくわくしますが、そうした興奮を呼び覚ます理由は、あれが革命史観そのものだったからです。しかもフランス革命史観です。貧富の差の拡大が革命を引き起こすまで行くかどうかは歴史上の偶然です。かってはその自己矛盾のゆえに、資本主義社会は必然的に革命を引き起こすのだと言われて誰もが興奮していた時代がありましたが、現在のわれわれはもう少し冷静になって、貧富の差がいくら広がっても、それが革命という暴力に解決を求めたのは少なくとも近代世界においては例外的で、一つフランス革命があっただけだと言っていいでしょう。それだけにフランス革命は世界史上の特異例として、人類の本質を物語るものとして、我々の興味を引きます。この特異例を一つの史観にまで仕立て上げたのは、ヘーゲルの力技でした。それだけに考えさせられることはたくさんあります。例えば、ヘーゲルはフランス革命のテロリズムを肯定していたのか否か。

 「王は王であるがゆえにしななければならぬ」という感覚を西欧の思想家はずっと持ち続けていて、思想の世界ではテロルは必ずしも否定されませんでした。むしろ「革命とテロル」は重要な問題として常に哲学者たちの念頭にありつづけました。日本でも石川啄木は「われは知る、テロリストの悲しき心を」と歌っています。つい最近まで、テロルは言葉を奪われた人々の政治行動の一種とみなされ、半ば肯定されていたわけです。

 しかし9.11以来、テロは憎むべき残忍な無差別殺人にすぎないものの名称になり、政治的目的達成の手段としては完全に否定されました。それでもフランス人はフランス革命を誇りに思うのでしょう。では、フランス革命はテロリズムではないかと言われたら、フランス人は何と答えるのでしょうか。そしてそうした動向は歴史哲学にどのような影響を及ぼすのでしょうか。私も近いうちに答えを出したいと思っています。