「世界一長いバーカウンター」の異名を持つライン河畔の飲食店街
ドイツでは肉と言えば主に豚です。その豚肉が獣くさい。豚はあれほど体毛を失っているくせに、やはり毛ものであったのです。毛ものの肉が獣くさいものだということを実感しました。もちろん気を使って料理すれば消えるし、ドイツ流に扱えば大丈夫なのかもしれませんが、日本にいたときと同じ扱いで料理するとダメみたいです。この間日本食レストランで家人がカツ丼を注文しました。でてきたものは、ドイツ基準の量なのでしょう、カツが2枚。一人では食べきれないので、私も半分いただくことにしました。しかし、二、三キレ口にしたらその臭いにハシが止まりました。吐き気さえ催し、大部分を残してしまいました。評判のいい店ではなかったのかもしれません。日本人は私たちだけでしたので。ほかの方たちはあれを日本料理だと思って食べているのでしょうか。
もしかしたらはじめて豚肉に接した数世代前の日本人も同じ体験をしたのかも知れません。彼らは臭いを香辛料を使って料理の過程で消すのではなく、肉そのものの臭みを抜くことを第一に考えたらしい、というのが面白い発見です。日本にいるとき利用していた或る組織の宅配では、たしか「米ブタ」というのがあって、ブタにコメを食わせて臭いの少ない肉にしましたというのを売りにしていたように思います。毛ものから獣くささを消すというのは、よく考えたら異常な発想なのかもしれません。これはもしかしたらご先祖様たちにとってブタ肉のというのもが新しい食べものだから考え付いたのでしょうか。それほど肉の臭さに耐えられなかったのですかね。
古くから豚肉を食べているドイツ人では、毛ものは獣臭いものということを当然と承認しているのかも知れません。とはいえ臭いものは臭いと見えて、多量の香辛料を使ってソーセージなどにするのは周知のとおりです。
ここで私ははたとひざを打ちました。子供のころ、歴史の授業で大航海時代の始まりを習っていた時、ヨーロッパ人はインドの香辛料、特に胡椒を求めて海に乗り出したと先生が説明してくれた時、思いました。「コショウごときで?」――そんなつまらないものを求めて生死をかけた航海に乗り出すなど、当時はまるで理解できなかったし、今の今まで本当に理解してはいませんでした。しかし大好きな豚肉をおいしく食べるために命を懸けてコショウごときものを求めてインドにまで行ったのかと思うと、歴史を動かす情熱というものがこちらで豚を食べてみて少しわかった気がしました。
ところで、先のカツ丼を食べた店では、サバの塩焼きも頼んだのですが、これがまた魚臭くて食べられませんでした。魚というものは魚臭いものなんですね…。そこでまたひざを打ちました。もしワサビが日本で栽培できなくなったら?その場合、日本人もワサビごときのために波濤に身を投げ出すのではないでしょうか。「コショウごときで?」という四十数年来の疑問が解けたのかもしれません。
この答え、間違っているのかもしれませんが、歴史を動かすものはコショウのような偶然的なものでもありうるのだということは、普段あまりに理論的に、普遍主義的に歴史を考える私などは、気を付けて反省してみることだと知らされました。
まずい料理屋に感謝――はしません。
終わり。