ドイツ連邦共和国における先導文化(Leitkultur ライトクルトゥーア)論争」カテゴリーアーカイブ

研究ノート第4回 ライトクルトゥーア/先導文化論争:「ドイツの先導文化」概念をめぐる論争の本格化(2000)

 1980年代後半から盛んになったドイツの「多文化社会」Multikultuelle Gesellschaftの論争に、Leitkulturなる概念が飛び込んできたこと、しかもこの概念はそれをつくったはずのバッサム・ティビの込めた意味(「ヨーロッパの先導文化」)から離れて、「ドイツの先導文化」となって現れたことを前回までに見た。もともとティビは「多文化社会」が「並行社会」を生み出すことを危惧し、それを克服することを構想するなかでこの概念を提起したのだったが、現実の文脈では「多文化社会への批判」の部分だけがクローズアップされることになった。つまりCDUをはじめとする保守勢力が多文化社会肯定論への抵抗概念としてのみこれを利用しようとした際に、当然のこととして「ヨーロッパの」という普遍主義的含意がすっぽ抜けて、「ドイツの」というナショナリズム的概念に転化してしまったのである。そしてヨルク・シェーンボームに続いて、この概念を多文化社会論への抵抗概念として積極的に利用しようとした二番手は、フリードリッヒ・メルツ(Friedrich Merz)であった。

 

1、フリードリッヒ・メルツの発言

 2000年10月にドイツ連邦議会におけるCDUの議員団議長(Fraktionsvorsitzender)であったフリードリッヒ・メルツが「ヴェルト」紙に「移民〔移住すること〕と同一性」というタイトルの原稿を寄せて、移民統合のために「ドイツの自由な先導文化」の尊重を求めること、「並行社会」に反対することを表明した。

 Friedrich Merz : Einwanderung und Identität. Die Welt vom 25.Oktober. 2000. (https://www.welt.de/print-welt/article540438/Einwanderung-und-Identitaet.html)

 メルツが訴えるところでは、ドイツは他国との友好を大切にする世界に開かれた国であって、一部に排外的な人がいたとしても、それはドイツ全体を代表しているわけではなく、ドイツ人の大多数は平和を求め、外国からの移住者たちと共生することを望んでいるし、経済と科学の面で国際競争に勝つためにも移民の力を必要としているのだから、移住と統合のための規則を必要としている。そこで彼は統合の可能性は二つの面から成り立っていると言う。「受入国は寛容でオープンでなければならず、移民たちも、一定期間あるいは継続的にこの国で生活したいのであれば、彼らは彼らで、ドイツにおける共同生活の規則を尊重する構えがなければならない」。そして彼はこの規則を「ドイツの自由な先導文化」(die freiheitliche deutsche Leitkultur)と呼んだのである。

 彼もこの定式に同意する人もいれば怒りを露わにする人もいることは知っている。なにしろ「ドイツ文化」として、一般に受け入れられた定義はないのであるから。そこで彼は彼なりにこの観念を明確化しようと試みる。

 「われわれの国の自由な文化には、きわめて重要なことだが、我らの〔ドイツ連邦共和国の〕基本法の憲法的伝統が属している。この伝統には人間の尊厳に対する無条件の敬意、譲り渡すことのできない個人の人権、国家に対する自由権と抵抗権が刻み込まれているが、しかしまた市民の義務も書き込まれている。だから基本法は我々の価値の序列の重要な表現であり、ドイツの文化的同一性の一部であって、この同一性こそが我々の社会の内的な団結を可能にするのである。」(第9段落)

 かくも憲法に対する熱い愛を語り、それを自国の伝統と文化と同一視する人は、日本でならば左派の政治家と思われるだろう。保守政治家が憲法を尊重しない国に住んでいるわれわれにはうらやましいと思ってしまうくらいである。

 またメルツは、第二次大戦後のドイツ文化にはヨーロッパの理念が刻まれているのであり、ドイツ人はヨーロッパの統合を我がこととしてきたと胸を張っている。そのヨーロッパとは「民主主義と社会的市場経済に基づいた平和と自由の内にあるヨーロッパ」(第10段落)である。

 意識して明確に書かないのであろうが、もちろんメルツの念頭にあるのはイスラム教徒である。彼が特に勝ち取られた女性の権利は宗教的な根拠から別の理解をする人たちにも受け入れてもらわなければ、と注文を付ける時はそうであろう。彼の主張は次の文ではっきりする。

「宗教の授業や多くの他のことを考慮に入れても、並行社会が生まれてしまうことに耐えることはできないし、耐えることも許されない。他の国々の文化を経験することを通じて文化的な相互関係を結び、互いに豊かになろうとすることにも限界はあって、自由、人間の価値として権利の平等ついての最小限のコンセンサスがもはや維持されないところがその限界となる。そこから外国人との共生するための結論が出てくる。様々な出自の人間が或る自由な国において自分たちの未来をともに作り上げることができるのは、普遍的に受け入れられた価値の基礎の上に立ってこそである。」(第11段落)

 この文に続けて彼は唐突に、移民政策・統合政策を成功に導くためのカギはドイツ語教育にありと述べている。ドイツ語の習得の問題は保守層が統合のカギと見なし、特にこだわりを見せる問題なのである。それはともかく、彼は一般論として、普遍妥当的な価値基準に定位することこそ必要なことであると至極当たり前のことを述べている。最後に、これについての議論を避けたり紋切り型の答えしか出せないものは政治的ラディカリズムに陥るのであって、そんなことは左右の少数派しかやらないと皮肉を言っているから、彼としては自分が中道のつもりなのであろう。

 

2.反響

 (1)このメルツの発言に対する政界からの反響はどうだったのだろうか。以下の記事でそれをいくらか知ることができる。

Guido Heinen: Ein Begriff macht Karriere, in: Die Welt, 1.11.2000.

( https://www.welt.de/print-welt/article541681/Ein-Begriff-macht-Karriere.html)

 「或る概念が出世する」というタイトルの意味は中身を読んでもはきとしないが、「ライトクルトゥーア」という概念がティビの意図から少し離れて、政治的論争の最前線で使われ出したことを指すのであろう。メルツの発言を受けて、SPDや「緑の党」の政治家からばかりでなく、彼の与党内部からも疑義が出されている。

 例えば緑の党からは、外相ヨシュカ・フィッシャー(Joschka Fischer)がメルツの発言を聞いて「鴨の巣Entenhausenの先導文化的同一性は何なんだい」と茶化したというし(この皮肉は私には分からない)、党首レナーテ・キュナスト(Renate Künast)は「ライトクルトゥーア」という言葉にはほんとにびっくりだと公表し(記事の筆者は「彼女にとっては『ドイツの』文化などはじめから存在しない」と注を入れている)、ユルゲン・トリッティン(Jürgen Tritten) は「民族主義的語彙」と切って捨てた。「民族主義的」völkischというのは、つまり「ナチスの」という意味である。

 外国人委任官(die Ausländerbeauftragteの直訳)のマリールイーゼ・ベック(Marieluise Beck)はメルツの「ライトクルトゥーア」は「愚にもつかぬ言葉の入れ物」と罵倒し、「ドイツは移民社会である」と公式に表明した。記事筆者によると、彼女はこの概念がティビの使った、多文化主義社会に反対する言葉であることを知っているとのことである。

CDUもただちにこの発言を党内で検討したと報じられている。ただしメルツに好意的でも「ライトクルトゥーア」という新概念にはなじめない人もいるらしく、Heiner Geißlerはそれをこれまで使われてきた「憲法愛国主義」Verfassungspatriotismusに置き換えることを提言し、バーデン・ビュルテンベルクのCDU議長ギュンター・エッティンガー(Günter Oettinger)はこの概念をポスターで使わないよう注意したと言う。首相メルケルは、議論が取り留めのないものになるからCDUが党として「ライトクルトゥーア」という概念の内容をはっきりさせることを求めたとのことである。

もちろんメルツ支持を表明したものもいたが、その支持内容を見ると、内容が素晴らしいと言うより、こういう議論をするのはけっこうなことだというだけのことが多い。

 他にライトクルトゥーアという考えを現在いたるまで批判し続けている「緑の党」の政治家としてジェム・オズデミル(Cem Özdemir)が有名であるが、私は残念ながらこの時期の発言を見つけることができなかった。

 (2)ところで、メルツが「ライトクルトゥーア」という言葉を選んだのは、ティビというより、テオ・ゾンマーを意識してのことだったらしい。少なくともゾンマーはそう思ったらしく、以下の記事でメルツに反論している。

Theo Sommer: Einwanderung ja, Ghettos nein – Warum Friedrich Merz sich zu Unrecht auf mich beruft, Die Zeit. Ausgabe 47/2000.

(https://www.zeit.de/2000/47/200047_leitkultur.xml)

ゾンマーは自分が少し前に「ライトクルトゥーア」という言葉を使った理由はよく分からず、ティビの影響かも、と頼りないことを言っているが、それがどうあれメルツと同じ意味で使ったのではないと言っている。ゾンマーの寄稿は「移民はいいが、ゲットーは駄目」というタイトルだが、副題が「なぜフリードリッヒ・メルツは不当にも私を引き合いに出すのか?」というもので、いかにも迷惑そうである。彼は元々右派の移民排斥運動に心を痛め、かと言って緑の党の多文化志向にも同意できないところから、そういう発想をもったのだと回顧している。ゾンマーはすでに1980年代後半から「ドイツは移民国家だ」と主張していた。もちろん、彼もドイツがアメリカ、カナダ、オーストラリアと同じような移民国家ではありえないことは分かっている。彼らのように原住民を保留地に追いやって新しい国家をつくるわけにはいかない、なにしろドイツ人はずっとここに住み続けるのだから。だからと言って多文化社会という考えにも彼はなじめない。あちらにはいくつかのトルコ人のゲットー、ギリシャ人のゲットー、そしてこちらにはたくさんのドイツ人のゲットーをつくるわけにはいかない。「そらだから私は〔多文化ではなく〕むしろ〈多民族〉multiethnischをよしとする。ハイフン付ドイツ人に慣れよう、というのが私の意見だ。つまり、トルコ系ドイツ人Turko-Deutsche、ギリシャ系ドイツ人Graeco-Deutsch、そしてイタリア系ドイツ人Italo-Deutschだ。」(最終段落)

(3)もう一つ、メルツへの反論として、ドイツ・ユダヤ人中央評議会(Zentralrat der Juden in Deutschland, ZdJ)の議長、強制収容所からの生還者パウル・シュピーゲル(Paul Spiegel)の談話を見ておこう。

Paul Spiegel: Was soll das Gerede um die Leitkultur? Welt N24, 11. November 2000.

(https://www.welt.de/print-welt/article546696/Paul-Spiegel-Was-soll-das-Gerede-um-die-Leitkultur.html)

 ホロコースト時代を生きた彼はドイツの現状に対する危惧を表明した後で、「ライトクルトゥーア」についてこう言う。

「ライトクルトゥーアというお話で何を問題にしたいというのか?異国人を追い払い、ユダヤ教礼拝所に火をかけ、家なき人々を殺すのがドイツ文化だというのではないだろうね?我々が基本法〔ドイツ連邦共和国憲法〕に定めた西欧的・民主主義的な文明の文化と価値観のことなのかね?基本法の条項1にはこうある。『人間の尊厳は不可侵である。それを守ることは国家権力の責務である』、と。人間の尊厳――すべての人間の尊厳――が不可侵なものだ。中央ヨーロッパのキリスト教徒だけではないよ!」(第7段落)

 そして彼は「この〔基本法の〕原則がドイツの先導文化であると言うのであれば、私も文句なく支持する」(第8段落)と言い、その上で政治家たち(司法、警察関係者も含めて)に「ポピュリスト的な物言いをするな、条項1を守れ」と要求する。よほど腹に据えかねるものがあるのか、彼は「言葉で火遊びをするな!」と繰り返し要求している。日本でも政治家の失言やネット生活者の炎上遊びにはほとほとうんざりさせられるが、当時のドイツでも似たようなところはあったらしい。

 シュピーゲルの発言に対するドイツ政界の反応は鈍かったようだ。以下の記事によれば、当のメルツはだんまりだったらしいし、首相メルケルはWELT紙の質問にこう答えている。「寛容と相互互恵の文化、われわれの憲法の価値と我々による世界に開かれた姿勢のことをドイツのライトクルトゥーアと呼ぶとCDU内部で決めている。」

„Die CDU sitzt in der Falle“. Welt N24, 11. November 2000.

https://www.welt.de/print-welt/article546695/Die-CDU-sitzt-in-der-Falle.html

 前回紹介したシェーンボームは「ライトクルトゥーア」という概念をよく知らないで使った気配があるが、メルツは確信犯だと思われる。もっともその言葉を政界に送り出す結果になってしまったテオ・ゾンマーが今回紹介した記事で、この言葉の出自にあまり自覚的でなかったことを告白しているので、それがバッサム・ティビの意図したような概念ではなくなっていったことは当然だったのかもしれない。ティビが前回紹介した論文で「ドイツの先導文化」などという誤った概念ができたことに怒ったのもこの後、2002年頃であった。概念が出世するどころか転落していったわけだが、だが概念のこういう運動にこそ、思想の現実性というものがあるということを後に明らかにしたいと思う。

 メルツがやったことは、ティビの「ライトクルトゥーア」から「ヨーロッパの」を除き、代わりに「ドイツの」を自覚的に置いたことである。そしてこの後に人々が問題にしようとしたのは常に「ドイツの先導文化とは何か」であったから、このメルツ式転換によって先導文化論がドイツの特殊問題として成立したと言える。そして「ドイツの」が強調されることによって、先導文化論が統合Integrationよりも同化Assimirationを強いる考えであり、並行社会を克服しようとする前向きの議論ではなく、左派の多文化社会論に抵抗する右派の作戦だと受け取られたることになった。こうして先導文化論はきわめて政治的な、或るドイツ人の琴線に触れ、或るドイツ人の逆鱗に触れる問題として展開していくことになる。

 その他今回紹介する予定でいたが、余力がなくなったので、以下のものについては別の機会をもつことにしたい。

・Ernst Benda: Theo Sommer für Leitkultur. Frankfurter Allgemeine Zeitung, 9. November 2000.

・Volker Kronenberg: Zwischenbilanz einer deutschen Debatte, die notwendig ist: Leitkultur, Verfassung und Patriotismus—was eint uns?, in: Was eint uns? Verständigung der Gesellschaft über gemeinsame Grundlagen, hrsg. Von Bernhard Vogel, Freiburg i. B. 2008, S.188-209.

(2019.07.05 黒崎剛)

注:写真は筆者が「ドイツ的」と感じるものをランダムに載せているだけで、内容とは関係ありません。

研究ノート第3回 ライトクルトゥーア/先導文化論争:政治家が言葉を発見する(1998)

ドイツといえば思い出すパン「ラウゲンブレッツェル」。ラウゲン液は劇薬指定されているので、日本では食べられないのが残念。

 

 バッサム・ティビによって世に送り出された「ライトクルトゥーア/先導文化」という概念がどうして学術的カテゴリーから政治的論争の中心概念へ転化したのかを探ってみると、主に右派政治家の政治的利用にその原因があるようだ。

 1998年7月にキリスト教民主同盟(CDU)所属の政治家 ヨルク・シェーンボーム(Jörg Schönbohm)が「ベルリン新聞」Berliner Zeitungで「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」„deutschen Leitkultur“ という言葉を使って移民の統合問題を論じたことが無署名の新聞記事に見える。そこでの引用に従うと、シェーンボームはこう言っている。「統合されることのできない外国人は帰ることを望むのかという問いに答えなければならない。我々は並行社会あるいは多文化社会が発展するのを認められない」(文献1より)。「多文化モデルはドイツのライトクルトゥーア/先導文化という課題を、序列の等しい平衡社会の利になるように認めながら、我慢して受け入れている。…だがドイツという国における基本的文化はドイツの文化だ。そしてそれと分かちがたく帰属しているのが憲法の基本的な価値基準なのだ」(文献2より)。「ヨーロッパの」と言ったティビを無視して「ドイツの」と言いかえたうえでこの言葉を使うのがドイツの右派政治家のやり方だが、その先鞭を切ったのがシェーンボームであるようだ。

  1. 「ドイツ的とは何を指すのか?――国家主義的保守主義者が自前の『先導文化』を定義する」Was heißt hier deutsch? Der Nationalkonservativismus definiert seine “Leitkultur”, Die Zeit Juli 1998. (https://www.zeit.de/ 1998/30/199830.assheuer_ schoenb.xml) 初回閲覧日2018.05.24.
  2. 「ライトクルトゥーアはもう使わない」 Schönbohm unzweideutig: „Ich vermeide Leitkultur“. n-tv, 20. April 2006. 初回閲覧日05.24.

 そしてこの記事で無署名の執筆者はすでにこの言葉を胡散臭いものとして叩いている。無名氏は第一に「同質の国民国家など危険なフィクション」だと断じ、「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」とは多文化主義と左派(ドイツを愛さないで、消えてしまったプロレタリアートの代役を探しているような個人)を攻撃する「大砲」だとみている。彼によれば、移民問題で現実に混乱が起こっているのは確かだが、そうした混乱に対して秩序を要求するという臭いが彼の言う「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」から漂ってくる。ロマン主義的な国家論と同じで、シェーンボームは堅固で同質の普遍価値をそなえたドイツの「文化」と「国民」に「かすがい」となるものを求めている。彼は憲法を民族文化に沈めてしまっているし、憲法の人権主義的な核心という西洋的な普遍主義をドイツ的価値と同一視して統合しようとしている。その上でシェーンボームは「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」を持ち出すのである。無名氏は「政治がいったん前政治的な血族社会、『ドイツ的なもの』に同化させられるならば、『ライトクルトゥーア』は政治的な意味での同一化の基準となってしまい、自由と平等というあらゆる自己立法はその背後に斥けられてしまうだろう」と警告を発する。

 第二に無名氏によれば、シェーンボームも「憲法」を口にするけれども、彼の主張が憲法の自由権と背反しているのは明らかで、実際シェーンボームはそれを目の敵にしている。自由権を「ドイツのライトクルトゥーア」であいまい化しようとするとき、「価値」が引き合いに出されるのであるが、そもそもどのような価値が問題とされているのかが決まっていない。「公共の福祉」が何であるかも、誰がそれを執行するのかも分からない中で「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」に従えばいいと言うことは、ドイツの住人はドイツ的価値に従えばいいという同語反復を述べているにすぎない。そして結局持ち出されるのは「国民」(Volksnation)なのである。

 だから無名氏によれば、なぜシェーンボームが移民は「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」に従えと主張するのかも明らかである。SPDのオットー・シリー(Otto Schly)が「外国人にもキャベツの酢づけを食えというのかい」とからかったのは当たっている。つまり移民はドイツの共同価値体系の、固有の生活様式や習慣に適合せよということなのである。国籍と国民的同一性、民族的文化的共同性とを結合させよということなのである。このような「ライトクルトゥーア」主唱者に対して、結論として無名氏は「文化的同一性は指示されることはできず、形成されるだけ」と切り返している。

 ただしシェーンボームは確信犯として「ドイツのライトクルトゥーア」と言ったわけではなく、便利な言葉だと思って深く考えもせず使ったものらしい。2006年の新聞記事では彼はライトクルトゥーアという言葉で他人を指導することなど考えてはいなかったと弁明し、この言葉は「誤解を生みやすい」からもう使わないと宣言している(文献2)。 おそらくドイツの右派政治家は、最初はあまり深く考えずにこの言葉を「ドイツ的なるもの」を守るための言葉と自覚的無自覚的に読み替えて使おうとしたと思われる。

 この無署名記事のなかにはその後に展開される反論のあらゆる要素が出ていて、大変面白いものであるが、一般的にはと同じ日付で出たZeit-の編集者、テオ・ゾンマー(Theo Sommer)のごく短い「社説」(に当たるのだろうか)が有名である。タイトルが、「頭が語る、布は語らず――ドイツのなかの外国人統合は一方通行であってはならない」。

  1. Theo Sommer: Der Kopf zählt, nicht das Tuch – Ausländer in Deutschland: Integration kann keine Einbahnstraße sein Die Zeit vom 16. Juli 1998, Zugriff am 14. Mai 2017.(https://www.zeit.de/1998/30/199830.auslaender_.xml)初回閲覧日05.24.

 日本人には謎かけのようなタイトルだが、ヨーロッパ人には直ちに分かる。ゾンマーはいくつか事例を引いているが、その中の一つがそのタイトルの種になっている。――アフガニスタン出身のFereshta Ludinという女性の教師が、授業中にはイスラム教徒のあかしであるスカーフを取れという要望を拒絶した結果、バーデン‐ビュルツベルクの文化相であるAnette Schavanが彼女を教師として雇わないことを決めたという話である。当局はスカーフを「文化的境界線のシンボル」であり、「政治的〔態度の〕シンボル」と見なしたというわけである。Schavanに対する反応は複雑である。ゾンマーも彼女が他の場合には移民の権利を拡張することに貢献している傑出した政治家であることを認め、さらに社会民主党(SPD)と緑の党(Grüne)の要人も彼女を支持しているという。それにもかかわらず、リベラルの立場をとるならば、人が頭のなかに持っているものの方が頭に巻いているものよりも重要だということになるはずだと彼は文句をつけている。

 これが論争の序盤戦であるが、これだけみてもなぜドイツでこの論争が執拗に継続したのかがよく分からない。このような国家や民族と盾に取り、個人の自由や人権を制限しようとする右派政治家はどこの国でも多数派であるし、それに対して左派あるいは良心的知識人が反論するという図式も日本でもおなじみである。これを明らかにすれば、かなり面白い論争であることが分かってくるだろう。

 

(2019.03.07 黒崎剛)

注:写真は筆者が「ドイツ的」と感じるものをランダムに載せているだけで、内容とは関係ありません。

研究ノート第2回 ドイツのライトクルトゥーア/先導文化(Leitkultur、主導文化)論争の始まり

ドイツの代表的な縁日料理・Reibekuchen。すりおろしたジャガイモの天ぷらといったもの。

はじめに:「先導文化」のイメージ

この論争はどういうものなのか、まずイメージを持ってもらうために以下の項目を見ていただこう。

  1. 顔・姿を隠さないこと。
  2. 普遍的な教養と教育に価値を置くこと。
  3. 自分たちのなしたことに誇りを持つこと。
  4. ドイツ連邦共和国の歴史の相続人であること。
  5. 文化的国民であること。
  6. 宗教の役割を考えること。
  7. 紛争の調停における文民統制。
  8. 啓蒙された愛国者であること。
  9. 欧州の一員であること。
  10. 場所と思い出に関する共通の集団的記憶をもつこと。

 これは2017年にメルケル内閣の内相(Innenminister)を務めるトマス・デメジエールという政治家が公表した「私たちはブルカではない」という声明(「ブルカなんていらない!」というところだろうか)に挙げられた、「ドイツのライトクルトゥーア/先導文化」の彼流10項目の要約である*。ブルカとはご存じのとおりイスラム教徒の女性が被るヴェールの一種である。一見してまったくバラバラな項目が並んでいるだけなので、学的吟味に耐える内容ではない。しかし「これがドイツの先導文化なんだ!」と内閣の一員が言っているのだから、ドイツの人々の何らかの共通了解を反映したものなのであろう。実際それほど過激な要求ではないし、それどころか常識的とも言えるもので、排外主義的だとも言えない。これについてはまたこのエッセイの最終回くらいで正式に取り上げるつもりだが、ドイツ保守層の考える先導文化のイメージを作るには持ってこいなので、まず紹介しておく。

*Thomas de Maizière:“Wir sind nicht Burka”: Innenminister will deutscher Leitkultur. In: Zeit Online. 30. April 2017.

 これが「ドイツの先導文化とは何か」という問いへの答えの一例である。移民たちがこうしたドイツの文化に敬意を払い、それに統合されることができるかを問う人々がいるわけであるが、しかしこの論争を引き起こす起爆剤となったLeitkulturという言葉を提供した人は、そんな話にするつもりはなかったのである。

 

1.バッサム・ティビによる『同一性なきヨーロッパ?』での問題提起

きっかけとなったのはバッサム・ティビ(Bassam Tibi)という人のヨーロッパ文化論だった。

 この人はシリア出身の社会科学者である。2016年のWELT紙に彼のインタービュー記事が出ていて、自分の生い立ちや知的環境について詳しく語っていたのだが、その号が目下手元になくて引用できなくなっているので、記憶の確かなところと他の著書の紹介記事合わせて紹介すると、彼はシリアの大貴族の出で、彼の行動が新聞に載るほどの貴種であったらしい※。1960年代初めにドイツに移住し、ホルクハイマーに師事し、アドルノとも交流があったという。セレブで、かつ当時最高の知的環境のなかにすごした国際派の学者像が浮かぶ。

※ 追記(2019.3.21):Welt Online: „Deutschland ist immer noch kein normales Land“, Veröffentlicht am 04.07.2016. (https://www.welt.de/debatte/article156781355/Deutschland-ist-immer-noch-kein-normales-Land.html)

 

 その彼がLeitkulturという言葉を世に送り出した。それは1996年にはですでに提起されていたが、その概念がまとまって提示されたのが1998年に出された以下の書(の第一版)であった。

Europa ohne Identität? Die Krise der multikulturellen Gesellschaft. München: Bertelsmann.1998.

『同一性なきヨーロッパ?――多文化社会の危機』

 この本は別に先導文化論として書かれたものではなく、副題が示している通り、知識人によって主唱された「多文化主義社会」が危機に陥っていることを指摘した、広い意味での哲学的文化論である。先導文化については、彼はこの本ではヨーロッパ近代の価値観こそがヨーロッパ諸国の移民にとってのそれである、という極めて穏当なことを言っているにすぎない。例えば、彼は自分の意見を要約してこう言っている。――「望ましい先導文化のための価値は、文化的意味での近代から発しているのでなければならない。そうした価値というのはこういうものだ――民主主義、世俗主義、啓蒙、人権そして市民社会である」(S.154)。ヨーロッパの学者がそう言えば単なる近代主義者としか思われないだろうが、シリア人の移住者(Migrant)でイスラム教徒の学者がそういえば多少重みは違ってくる。彼は非ヨーロッパ人・非キリスト教徒としても、ヨーロッパ諸国が世界に加えた歴史的な暴力がどうあれ、ヨーロッパ近代が作り出したこれらの価値こそがヨーロッパにおける社会統合の核心になるものとしてふさわしいと言っているのである。

 ちなみにティビは彼を取り囲む情勢の変化に機敏に対応してこの本を後に改定しており、副題も二度も変わっている。その変化は明らかに緊迫していくヨーロッパの移民問題の推移をストレートに反映している。先導文化論争が起こった後でこの本がペーパーバックになって出版されたとき、副題はそれを意識して『…――先導文化および価値の選好性(Europa ohne Identität? Leitkultur oder Wertebeliebigkeit)となり(2000/2002)、さらに2016年にだされた改定版では、副題は『…ヨーロッパ化かイスラム化か』(Europa ohne Identität? Europäisierung oder Islamisierung. ibidem-Verlag, Stuttgart)とかなり直接的な危機を感じさせるものとなった。初版との違いは、その語に起こった先導文化論争についてかなり加筆していることである。この本はヨーロッパの文化的立場を考えるための好文献なのに、英語に比べ、ドイツ語の翻訳者の層が薄いためか、翻訳が出ていないのが残念である。

 注意すべきは、ティビが提起するライトクルトゥ-ア/先導文化とはあくまでもヨーロッパのそれである(つまり「ドイツの先導文化」などとは言っていない)ことである。例えば上記2016年の改定版から彼の言葉を引くと、「要約しよう。ヨーロッパの内部では移民たちと分かち合う一つのライトクルトゥ-ア/先導文化が必要である。ヨーロッパの外部では、一つの国際的な道徳性が必要である。前者はヨーロッパ的でなければならず、後者は文化の包括性を打ち出していなければならない」(傍点は原著イタリック、S.292)。彼によれば、一般に先導文化とは或る国民を結び付ける紐帯になるものであって、宗教、民族性、出身を問わない。当然ドイツ人と移民と結ぶ紐帯でなければならない。そしてそれはヨーロッパ的でなければならならない。彼は自分の立場を「価値についての同意」Wertekonsensesに基づく文化多元主義Kulturpluralismusと規定し、多文化主義Multikurturalismusに対しては恣意的な価値観を許容し、「平行社会」Parallelgesellschaftを招来するものだと反対の意を表明している。多文化主義を批判する点ではヨーロッパ知識人の文化論とは一味違うが、大体においては、理性への信頼、政教分離に基づく民主主義、多元主義、寛容と言った近代的価値を承認する点では、戦後ヨーロッパの良識を継承しており、特にフランクフルト学派(例えばハーバーマスの近代論)の強い影響下にあると言えそうである。

 余談になるが、ティビの言うことを聞いていて、私はフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)を思い出した。1992年に出版されたこの本で彼は欧米の近代社会において実現した「リベラルな民主主義」をもって歴史は終わる、あるいは人類史の最高峰であると主張した。当時でもかなり能天気な主張だと私は思ったが、そのころは東欧諸国の崩壊、ソビエトの解体によって20世紀社会主義の実験は失敗に帰し、西欧・アメリカのリベラルな民主主義を超える歴史段階は存在していないということが明白になったため、それなりの説得力はあったのである。

 私は能天気であるなどと少々失礼な表現をしてしまったが、たしかにこの議論はいまでも完全に説得力を失っているわけではない。2010年前後に頂点に達したアラブ諸国の民主化運動、いわゆる「アラブの春」においても、目標に置かれていたのは欧米のリベラルな民主主義だったことを思えば、リベラルな民主主義がいまでも人類が到達した最も優れた体制であるという見解は否定できない。

 フクヤマがかの書を出版した90年代前半はまだ欧米型民主主義の将来を楽観できる時期だったかもしれない。ティビが「ヨーロッパの先導文化」を打ち出したのも、もしかしたらそうした共通の時代の知的雰囲気があったかもしれないと思う。しかし21世紀に入ってからは、ティビもそういう楽観主義は捨てたようだ。著書の2000年度版では彼はヨーロッパが固有の同一性をもたぬマルチカルチャーの集合地域になるという危惧を表明し始めている。

ケルン大聖堂。こちらは文句なくドイツを代表する光景。

 

2.ティビのライトクルトゥーア/先導文化の概念

 もう少し彼の言う先導文化の中身を見てみよう。とはいえ、先の主著は大作で、しかも改定され彼自身の見解も発展しているために、紹介するには手間がかかる。そこで、先導文化論争が起こってから、彼自身がそれにコメントした短い論文がある。この論文はネットで公開されているので、簡単にみることができるので便利である。これに従って先導文化概念をできるだけ簡潔に確認してみよう。(引用はI節の第1段落ならI〔1〕と記す。)

*Leitkultur als Wertekonsens – Bilanz einer missglückten deutschen Debatte. In: Aus Politik und Zeitgeschichte, B 1–2/2001, S. 23–26.

 ティビは「ドイツの先導文化」ではなく、あくまでも「ヨーロッパの先導文化」を問題にしている。それは「ドイツ人と移民との間の、民主主義的な、世俗主義的(laizistisch)な、ならびにヨーロッパの生活に根差した(zivilisatorisch)同一性に定位する価値観の一致(Wertekonsens)」(I〔1〕)のことを指す。移民たちはエスニックな同一性を獲得することはできないが(トルコ人はドイツ人にもアラブ人にもなれないが)、「先導文化を手引きとしてのもろもろの価値に定位する同一性」(I〔2〕)は獲得できるのである。ヨーロッパ諸国が大量の移民を受け入れざるを得なくなり、その結果としてヨーロッパ的同一性を再規定しなければならなくなったが、それはつまりドイツ人も自分たちの国が「文化国家(国民)」(II〔3〕)だというような排他的な同一性を捨なければならないということである。なぜなら国民・国家をそのように特殊的に規定してしまうと、それにあずかることのない移民たちに同一性を与えることができなくなるからである。「統合するということは、同一性を与えることができるのでなければならない。どんな同一性にも先導文化は帰属している!」(同)。

 こうしてティビはイスラム教徒の移民として、「ヨーロッパの先導文化」(ヨーロッパの同一性)の概念をドイツのために確立しようとする。「私が先導文化という概念で問題にしているのは、成り行き任せの移住(Zuwanderung)を国の必要に定位した移民(Einwanderung)に転換し、この移民たちをヨーロッパの同一性という枠組みに統合することである。」(III〔5〕)「内的で社会的な平和は共同体についての了解を必要とする。それを私はライトクルトゥーア/先導文化と呼ぶ。それは手引き(Leitfaden)であって、『序列や従属』(Über-/Unterordnung)ではない」(同)。

 そうした先導文化はドイツの文化的近代の諸価値を基礎とし、ドイツ人と移民の同意に基づいた共通の立脚点とならなければならない。だからといって先導文化は「ドイツ人」という特殊性に関わるのではなく、近代ヨーロッパ社会が歴史的に獲得した諸価値でなければならない。彼は言う。「強い意味で要約すれば、そのような先導文化は次の内容をそなえている。すなわち、宗教的な啓示、つまり絶対的な諸真理というものの妥当性に対する理性の優位、個人の人権(したがって集団の権利ではない)、それにはとりわけて信仰の自由が含まれる。政教分離に基づく世俗的民主主義、全面的に承認された多元主義並びに同様に相互的に妥当する寛容さ――これは文化的な区別の合理的克服に役立つ。これらの諸価値を認めて通用させることが市民社会の実体をなす」(III〔8〕)。

 改めて確認すればここで言われている先導文化の要素は4つある。

  • 宗教的啓示に対する理性の優位
  • 個人の人権
  • 民主主義
  • 多元主義と寛容性

 これこそ彼の言う先導文化であり、そういうものがないと、価値における恣意性が勝利し、諸文化が統合せず、共存するのではなく併存して対立しあう「平行社会」Parallelgesellschaft――「文化的なバルカン化」(III〔6〕)が生じてしまうことを彼は懸念している。

 この考えからティビは多文化主義Multikurturalismusを斥ける。なぜなら、多文化主義は人々を価値の合意に導かず、むしろ価値の恣意性を助長し、平行社会を作ってしまうからである。これに対して彼の言う文化多元主義Kulturpluralismusとは「何でもあり」のことではなく、「それに従って区別された世界観をもつ人間たちが共に生き、違う存在と違う考えをもつ権利を保持し、しかし同時に共通の規則――とりわけたがいに対する寛容さと相互の尊敬――に対して〔各人を〕義務付けるという考え」(III〔9〕)なのである。

 さて、このようにみてくると、ティビの言う先導文化には何ら過激なところはなく、20世紀のヨーロッパ思想の成果をまっすぐに継承していることがわかる。むしろ常識すぎるくらい穏当で誰もが「その通り」と言いたくなるような考えであると言ってもいいだろう。

 にもかかわらずこれがドイツでは20年間断続的に続く、激烈と言ってもいいし、何やら生ぬるい感じもする妙な論争の導火線となったのである。――まったく、思想というものはお酒みたいなもので、普遍的に語ればいいことづくめなのに、実際に飲み下すと、つまり特殊・個別的な場面に適用されると、思ってもみない問題を巻き起こすことがある。ティビの提言は口当たりのいいワインのように見えて、その実きつい火酒であったようである。

ではそれはいかにして発火したのか。(続く)

 

(2019.1.13 黒崎剛)

注:写真は筆者が「ドイツ的」と思うものをランダムに載せているだけで、本論とは関係がありません。

研究ノート第1回 はじめに「ドイツ連邦共和国における先導文化(Leitkultur ライトクルトゥーア)論争」

マイヤー書店の新聞雑誌コーナー・移民関係の報道記事はどこかに載っている

 2018年もドイツは移民問題・難民問題に揺れている。私がドイツについて早々の6月、難民認定申請のさなか(却下され、異議申し立て中に)14歳の少女に性的暴行を加えて殺した男が逃亡先のイラクでつかまり、ドイツに送還されるという報道があったし、最近では8月26日にやはり難民申請が却下された後に滞在中だった男二人が35歳のドイツ人男性を刺殺する事件があり、それをきっかけにしてザクセン州ケムニッツ市で9月に大規模な反メルケル・反移民デモが起こっている。――こうした動きはドイツばかりではない。直近では9月に行われたスウェーデンの総選挙でも、移民制限を訴えた極右スウェーデン民主党が18パーセント近い得票を得て躍進した。――もっとも、こう書いた翌日の10月13日、ベルリンで極右に抗して大規模な反人種差別デモが起きたと報道され、私もドイツ社会のダイナミズムは健在であると印象づけられた。――と思っているところにさらに、10月15日にはバイエルン州議会選挙で、移民に寛容な政策を続けるメルケル与党のキリスト教社会同盟(CSU)が歴史的大敗、反移民政策を掲げる「ドイツのための選択肢」(AfD)が初めて議席を獲得、と右派勝利の報道である。こうなるとダイナミズムと言うより混乱と言いたくなる。

 こういう事態を詳細に追うことはこのノートの目的ではないのでこれでやめておくが、世界史のトップランナーだったヨーロッパ諸国が移民問題で大きくつまずいているさまがあちこちで見られる。ユーロに対する信頼も揺らいできており、EUが崩壊しかねないという緊張がみなぎっている。

 こういう事態が思想というものにどう跳ね返ってイデオロギー的に表現されるのかを分析するのが私の本来の仕事である。そして、そのきわめてドイツ的現われと言えるものとして挙げることができるのがLeitkultur-Debatteなのである。Debatteはディベート、「論争」のことであるからいいとして、Leitkulturはまだ独和辞典にも載っていないかもしれない言葉なので、今回はこの言葉の意味をまず大ざっぱに解説しておく。

 この言葉が世に出てからもう20年以上たつのであるが、日本ではあまり関心を持たれていないせいか、まだ日本語の定訳がない。Leitの動詞はleitenで、英語ではleadである。つまり「リードする文化」ということで、「主導文化」という訳が使われることもある。それで構わないとも思うが、私はこれに「先導文化」という訳を付けて使うことにした。あえて異を唱えたと言うよりは、リードの訳に「先導」と船を御する「船頭」をかけてしゃれてみたのである。

 さて、先導文化とは何か。

 たいていの人は„When in Rome do as Romans do“「郷に入れば郷に従え」ということわざを知っているだろうし、それにかなりの普遍性があることも認めることだろう。誰でも異邦の地ではその土地の習慣に沿った行動をしようとするし、自分の価値観では納得のいかないことでも、早急に否定せず(否定するとすれば、それはそこの文化を軽蔑しているか、よほどの文化格差がある場合だろう)、なぜそのようなありかたが認められているのかと一歩退いて考えてみるはずである。「よそ者」が見知らぬ土地に来た時に、従うべきその土地の習慣や習俗を先導文化だと考えれば、それに従うということはあれこれ考えるまでもなく、それなりの妥当性をもっているとだれもが思うはずだ、そこには何も論争になることはない。

 しかし現在のヨーロッパでそういう健全な常識が乱れてしまったのは、想定を超えた量の移民・難民の到来による。この移動は、異分子が投入され、一瞬泡立つが、やがて消え、溶け合ってその文化に一味加わる、というように理想的な経過にはならなかった。質の面ではキリスト教文化圏にもちこまれたのは硬質のイスラム文化であり、原理的に簡単には融合できないものだったし、量の面では溶かし込むにはあまりにも多すぎた。当初は彼らを弱者であり、庇護者の余裕と民主主義の理想、そしていくばくかの帝国主義時代の反省をもって接していたヨーロッパ各国、とくにドイツの人々も、もはや限度を超えていると不満をもらす人々が増えてきた。特に自分たちこそ社会的弱者だと思っている人々からすれば、生活に不安のないエスタブリッシュメントたちは移民たちのことばかり優遇して、自分たちのことは見捨てていると怒っている。その思いを代弁するかのごとき主張をしたのが極右勢力だけだったとあって、昔なら左派が救うべきだった社会的弱者が極右と連合してしまう事態が起こり、ドイツでは封じ込められていた悪霊が這い出てきたかのような不気味な空気が漂っている。

 彼らの不満はストレートには「移民を受け入れるな」という圧力と行動になるが、そこまで直接的に言えず、「なんといっても移民・難民受け入れは正義であり、拒否できない」と思っている人たちにあっては、やや屈折した思想的表現をとった。つまり、「ドイツで生活したいのであれば、ドイツの精神的規範に従ってもらわなければ困る」ということである。この当然従うべき規範を彼らは或る人物が作り出した(次回解説する)Leitkultur、「先導文化」という言葉に見出した。ただし今の文脈では、正確に言えば、die deutsche Leitkultur――「ドイツの先導文化」である。

あらゆる国の顔を道で見ることができる

 ちょっと聞けばまことにもっともな主張じゃないかと思う人も多いだろう。たしかにそういう面もある。しかしこの主張はドイツ言論界では左派知識人を中心に猛烈な反発を受けた。先導文化など存在しない、そんなことを言うのは自国中心主義であり、単一文化主義であり、人種差別であり、民主主義者として恥ずかしい、というわけである。ここに生じた一連の論争が(die deutsche)Leitkultur-Debatte、「(ドイツ)先導文化論争」と呼ばれたのである。つまりあれこれの異質な習慣と価値観をもってやってくる移民たちに「我がドイツの歴史に根づいた文化的精神的規範に従ってもらおうじゃないか」という主張する人々と、そんな規範が存在することを認めず、文化的多様性を承認して受け入れるべきだと考える人々の間に交わされた論争である。内容としては理論的、学問的な「真理」を争う論争ではなく、イデオロギー闘争であると言える。だから「論争」の原語は「ディベート」である。

 そういうわけなのでこの論争の内容自体はそう高度なものではない。そのせいか大学の哲学者などは(ハーバーマスのような人を例外として)あまり関与する気はないようである。私がルール大学に行ってある教授にこの論争を調べるのが渡独の目的に一つであると言ったところ、教授は怪訝な顔をして、一言、「あんなのはもう古い」で終わりだった。してみるとドイツのアカデミストにとってはこの論争は本気で取り上げる値打ちのないものらしい。

 それでも私がこの論争を調べてみる気になった理由の一つは、私がヘーゲル研究者だからである…というのは上記教授もヘーゲル研究者であったので、この理由は十分ではない。もう少し言うと、たぶん私はこの思想現象のなかに、歴史の弁証法の発現をみているのである。もしかしたらそれは私の勘違いである可能性もあるが、検証してみる値打ちはある。

 基本的に、現在のヨーロッパで起きている反移民運動は、それが極右と結びつく限りで、非理性的現象である。しかし非理性にも存在理由はある。ヘーゲルは歴史において非理性が存在する必然性を認めた哲学者であった。彼の論理では非理性は理性自身が生み出す理性の分身、それどころか理性の現象形態の一つなのである。そもそも理性というものが非理性を産み出しながらその対立を突き詰め、その過程で非理性を克服しうる媒介者を産み出すことによって解決に導いていく弁証法の運動である。それこそ19世紀のドイツ哲学が生み出した知恵なのであるが、20世紀のドイツ哲学、例えばハーバーマスなどの言うことを聞いていると、基本的には非理性的なものを拒否しているように思えてしまうことがある。非理性を断固として拒否するのもまた理性には違いないが、そもそも理性にこだわることがかえってアンチテーゼとしての非理性・反理性を生み出してしまうこと、理性は非理性を克服する過程としてしか現実化しないことを洞察したのがヘーゲルである。うまくいけば対立が突き詰められたとき、反転してそこから解決策が出てくる。それがヘーゲルの発見した歴史的理性の運動である。

 もちろん、そのように万事めでたしに終わる保証はない。そもそも非理性の存在理由を認めるということは、同時に短期的にではあっても非理性が勝利することもあるということを認めるに等しい。実際、ドイツは20世紀にナチスを産み出した国であり、そこで非理性はその頂点にまで上り詰め、理性が死に絶えるという痛恨の経験をしているため、知識人が弁証法的な楽観主義を嫌悪しているというもっともな事情がある。現在の動きが、まかり間違って再び非理性の極みのなかで没落してしまうという恐怖をドイツの知識人ほど持っているものは世界にはいないのだろう。

 現在のヨーロッパの情勢は先が読めない。いったいこの動きが今後どう転んでいくのか、うまく見通せない。それについて「先導文化」論争を分析することで人々が何を望んでいるのか理解することはできないか、それがこのエッセイを始めるおおまかな動機である。大した成果もなく終わる可能性はあるが、「神は細部に宿る」ともいう。ヘーゲルも普遍的なものも最初は特殊的なものとして現れると言う。この特殊な、ささいな論争のなかに、もしかしたら、何か大きな真実が隠されているかもしれない。そんな予感が私にはある。

 また、この論争がドイツだけで起き、同じように難民問題で揺れているその他のヨーロッパ諸国で起きないのはなぜなのだろうか。それが分かれば、同様の論争が日本でも起きるか否かも予測できるだろうし、あらかじめ対策を立てることができるというメリットもあるだろう。興味のある方は少しの間どうぞ付き合っていただきたい。

(2018.10.17 黒崎剛)