研究ノート第4回 ライトクルトゥーア/先導文化論争:「ドイツの先導文化」概念をめぐる論争の本格化(2000)

 1980年代後半から盛んになったドイツの「多文化社会」Multikultuelle Gesellschaftの論争に、Leitkulturなる概念が飛び込んできたこと、しかもこの概念はそれをつくったはずのバッサム・ティビの込めた意味(「ヨーロッパの先導文化」)から離れて、「ドイツの先導文化」となって現れたことを前回までに見た。もともとティビは「多文化社会」が「並行社会」を生み出すことを危惧し、それを克服することを構想するなかでこの概念を提起したのだったが、現実の文脈では「多文化社会への批判」の部分だけがクローズアップされることになった。つまりCDUをはじめとする保守勢力が多文化社会肯定論への抵抗概念としてのみこれを利用しようとした際に、当然のこととして「ヨーロッパの」という普遍主義的含意がすっぽ抜けて、「ドイツの」というナショナリズム的概念に転化してしまったのである。そしてヨルク・シェーンボームに続いて、この概念を多文化社会論への抵抗概念として積極的に利用しようとした二番手は、フリードリッヒ・メルツ(Friedrich Merz)であった。

 

1、フリードリッヒ・メルツの発言

 2000年10月にドイツ連邦議会におけるCDUの議員団議長(Fraktionsvorsitzender)であったフリードリッヒ・メルツが「ヴェルト」紙に「移民〔移住すること〕と同一性」というタイトルの原稿を寄せて、移民統合のために「ドイツの自由な先導文化」の尊重を求めること、「並行社会」に反対することを表明した。

 Friedrich Merz : Einwanderung und Identität. Die Welt vom 25.Oktober. 2000. (https://www.welt.de/print-welt/article540438/Einwanderung-und-Identitaet.html)

 メルツが訴えるところでは、ドイツは他国との友好を大切にする世界に開かれた国であって、一部に排外的な人がいたとしても、それはドイツ全体を代表しているわけではなく、ドイツ人の大多数は平和を求め、外国からの移住者たちと共生することを望んでいるし、経済と科学の面で国際競争に勝つためにも移民の力を必要としているのだから、移住と統合のための規則を必要としている。そこで彼は統合の可能性は二つの面から成り立っていると言う。「受入国は寛容でオープンでなければならず、移民たちも、一定期間あるいは継続的にこの国で生活したいのであれば、彼らは彼らで、ドイツにおける共同生活の規則を尊重する構えがなければならない」。そして彼はこの規則を「ドイツの自由な先導文化」(die freiheitliche deutsche Leitkultur)と呼んだのである。

 彼もこの定式に同意する人もいれば怒りを露わにする人もいることは知っている。なにしろ「ドイツ文化」として、一般に受け入れられた定義はないのであるから。そこで彼は彼なりにこの観念を明確化しようと試みる。

 「われわれの国の自由な文化には、きわめて重要なことだが、我らの〔ドイツ連邦共和国の〕基本法の憲法的伝統が属している。この伝統には人間の尊厳に対する無条件の敬意、譲り渡すことのできない個人の人権、国家に対する自由権と抵抗権が刻み込まれているが、しかしまた市民の義務も書き込まれている。だから基本法は我々の価値の序列の重要な表現であり、ドイツの文化的同一性の一部であって、この同一性こそが我々の社会の内的な団結を可能にするのである。」(第9段落)

 かくも憲法に対する熱い愛を語り、それを自国の伝統と文化と同一視する人は、日本でならば左派の政治家と思われるだろう。保守政治家が憲法を尊重しない国に住んでいるわれわれにはうらやましいと思ってしまうくらいである。

 またメルツは、第二次大戦後のドイツ文化にはヨーロッパの理念が刻まれているのであり、ドイツ人はヨーロッパの統合を我がこととしてきたと胸を張っている。そのヨーロッパとは「民主主義と社会的市場経済に基づいた平和と自由の内にあるヨーロッパ」(第10段落)である。

 意識して明確に書かないのであろうが、もちろんメルツの念頭にあるのはイスラム教徒である。彼が特に勝ち取られた女性の権利は宗教的な根拠から別の理解をする人たちにも受け入れてもらわなければ、と注文を付ける時はそうであろう。彼の主張は次の文ではっきりする。

「宗教の授業や多くの他のことを考慮に入れても、並行社会が生まれてしまうことに耐えることはできないし、耐えることも許されない。他の国々の文化を経験することを通じて文化的な相互関係を結び、互いに豊かになろうとすることにも限界はあって、自由、人間の価値として権利の平等ついての最小限のコンセンサスがもはや維持されないところがその限界となる。そこから外国人との共生するための結論が出てくる。様々な出自の人間が或る自由な国において自分たちの未来をともに作り上げることができるのは、普遍的に受け入れられた価値の基礎の上に立ってこそである。」(第11段落)

 この文に続けて彼は唐突に、移民政策・統合政策を成功に導くためのカギはドイツ語教育にありと述べている。ドイツ語の習得の問題は保守層が統合のカギと見なし、特にこだわりを見せる問題なのである。それはともかく、彼は一般論として、普遍妥当的な価値基準に定位することこそ必要なことであると至極当たり前のことを述べている。最後に、これについての議論を避けたり紋切り型の答えしか出せないものは政治的ラディカリズムに陥るのであって、そんなことは左右の少数派しかやらないと皮肉を言っているから、彼としては自分が中道のつもりなのであろう。

 

2.反響

 (1)このメルツの発言に対する政界からの反響はどうだったのだろうか。以下の記事でそれをいくらか知ることができる。

Guido Heinen: Ein Begriff macht Karriere, in: Die Welt, 1.11.2000.

( https://www.welt.de/print-welt/article541681/Ein-Begriff-macht-Karriere.html)

 「或る概念が出世する」というタイトルの意味は中身を読んでもはきとしないが、「ライトクルトゥーア」という概念がティビの意図から少し離れて、政治的論争の最前線で使われ出したことを指すのであろう。メルツの発言を受けて、SPDや「緑の党」の政治家からばかりでなく、彼の与党内部からも疑義が出されている。

 例えば緑の党からは、外相ヨシュカ・フィッシャー(Joschka Fischer)がメルツの発言を聞いて「鴨の巣Entenhausenの先導文化的同一性は何なんだい」と茶化したというし(この皮肉は私には分からない)、党首レナーテ・キュナスト(Renate Künast)は「ライトクルトゥーア」という言葉にはほんとにびっくりだと公表し(記事の筆者は「彼女にとっては『ドイツの』文化などはじめから存在しない」と注を入れている)、ユルゲン・トリッティン(Jürgen Tritten) は「民族主義的語彙」と切って捨てた。「民族主義的」völkischというのは、つまり「ナチスの」という意味である。

 外国人委任官(die Ausländerbeauftragteの直訳)のマリールイーゼ・ベック(Marieluise Beck)はメルツの「ライトクルトゥーア」は「愚にもつかぬ言葉の入れ物」と罵倒し、「ドイツは移民社会である」と公式に表明した。記事筆者によると、彼女はこの概念がティビの使った、多文化主義社会に反対する言葉であることを知っているとのことである。

CDUもただちにこの発言を党内で検討したと報じられている。ただしメルツに好意的でも「ライトクルトゥーア」という新概念にはなじめない人もいるらしく、Heiner Geißlerはそれをこれまで使われてきた「憲法愛国主義」Verfassungspatriotismusに置き換えることを提言し、バーデン・ビュルテンベルクのCDU議長ギュンター・エッティンガー(Günter Oettinger)はこの概念をポスターで使わないよう注意したと言う。首相メルケルは、議論が取り留めのないものになるからCDUが党として「ライトクルトゥーア」という概念の内容をはっきりさせることを求めたとのことである。

もちろんメルツ支持を表明したものもいたが、その支持内容を見ると、内容が素晴らしいと言うより、こういう議論をするのはけっこうなことだというだけのことが多い。

 他にライトクルトゥーアという考えを現在いたるまで批判し続けている「緑の党」の政治家としてジェム・オズデミル(Cem Özdemir)が有名であるが、私は残念ながらこの時期の発言を見つけることができなかった。

 (2)ところで、メルツが「ライトクルトゥーア」という言葉を選んだのは、ティビというより、テオ・ゾンマーを意識してのことだったらしい。少なくともゾンマーはそう思ったらしく、以下の記事でメルツに反論している。

Theo Sommer: Einwanderung ja, Ghettos nein – Warum Friedrich Merz sich zu Unrecht auf mich beruft, Die Zeit. Ausgabe 47/2000.

(https://www.zeit.de/2000/47/200047_leitkultur.xml)

ゾンマーは自分が少し前に「ライトクルトゥーア」という言葉を使った理由はよく分からず、ティビの影響かも、と頼りないことを言っているが、それがどうあれメルツと同じ意味で使ったのではないと言っている。ゾンマーの寄稿は「移民はいいが、ゲットーは駄目」というタイトルだが、副題が「なぜフリードリッヒ・メルツは不当にも私を引き合いに出すのか?」というもので、いかにも迷惑そうである。彼は元々右派の移民排斥運動に心を痛め、かと言って緑の党の多文化志向にも同意できないところから、そういう発想をもったのだと回顧している。ゾンマーはすでに1980年代後半から「ドイツは移民国家だ」と主張していた。もちろん、彼もドイツがアメリカ、カナダ、オーストラリアと同じような移民国家ではありえないことは分かっている。彼らのように原住民を保留地に追いやって新しい国家をつくるわけにはいかない、なにしろドイツ人はずっとここに住み続けるのだから。だからと言って多文化社会という考えにも彼はなじめない。あちらにはいくつかのトルコ人のゲットー、ギリシャ人のゲットー、そしてこちらにはたくさんのドイツ人のゲットーをつくるわけにはいかない。「そらだから私は〔多文化ではなく〕むしろ〈多民族〉multiethnischをよしとする。ハイフン付ドイツ人に慣れよう、というのが私の意見だ。つまり、トルコ系ドイツ人Turko-Deutsche、ギリシャ系ドイツ人Graeco-Deutsch、そしてイタリア系ドイツ人Italo-Deutschだ。」(最終段落)

(3)もう一つ、メルツへの反論として、ドイツ・ユダヤ人中央評議会(Zentralrat der Juden in Deutschland, ZdJ)の議長、強制収容所からの生還者パウル・シュピーゲル(Paul Spiegel)の談話を見ておこう。

Paul Spiegel: Was soll das Gerede um die Leitkultur? Welt N24, 11. November 2000.

(https://www.welt.de/print-welt/article546696/Paul-Spiegel-Was-soll-das-Gerede-um-die-Leitkultur.html)

 ホロコースト時代を生きた彼はドイツの現状に対する危惧を表明した後で、「ライトクルトゥーア」についてこう言う。

「ライトクルトゥーアというお話で何を問題にしたいというのか?異国人を追い払い、ユダヤ教礼拝所に火をかけ、家なき人々を殺すのがドイツ文化だというのではないだろうね?我々が基本法〔ドイツ連邦共和国憲法〕に定めた西欧的・民主主義的な文明の文化と価値観のことなのかね?基本法の条項1にはこうある。『人間の尊厳は不可侵である。それを守ることは国家権力の責務である』、と。人間の尊厳――すべての人間の尊厳――が不可侵なものだ。中央ヨーロッパのキリスト教徒だけではないよ!」(第7段落)

 そして彼は「この〔基本法の〕原則がドイツの先導文化であると言うのであれば、私も文句なく支持する」(第8段落)と言い、その上で政治家たち(司法、警察関係者も含めて)に「ポピュリスト的な物言いをするな、条項1を守れ」と要求する。よほど腹に据えかねるものがあるのか、彼は「言葉で火遊びをするな!」と繰り返し要求している。日本でも政治家の失言やネット生活者の炎上遊びにはほとほとうんざりさせられるが、当時のドイツでも似たようなところはあったらしい。

 シュピーゲルの発言に対するドイツ政界の反応は鈍かったようだ。以下の記事によれば、当のメルツはだんまりだったらしいし、首相メルケルはWELT紙の質問にこう答えている。「寛容と相互互恵の文化、われわれの憲法の価値と我々による世界に開かれた姿勢のことをドイツのライトクルトゥーアと呼ぶとCDU内部で決めている。」

„Die CDU sitzt in der Falle“. Welt N24, 11. November 2000.

https://www.welt.de/print-welt/article546695/Die-CDU-sitzt-in-der-Falle.html

 前回紹介したシェーンボームは「ライトクルトゥーア」という概念をよく知らないで使った気配があるが、メルツは確信犯だと思われる。もっともその言葉を政界に送り出す結果になってしまったテオ・ゾンマーが今回紹介した記事で、この言葉の出自にあまり自覚的でなかったことを告白しているので、それがバッサム・ティビの意図したような概念ではなくなっていったことは当然だったのかもしれない。ティビが前回紹介した論文で「ドイツの先導文化」などという誤った概念ができたことに怒ったのもこの後、2002年頃であった。概念が出世するどころか転落していったわけだが、だが概念のこういう運動にこそ、思想の現実性というものがあるということを後に明らかにしたいと思う。

 メルツがやったことは、ティビの「ライトクルトゥーア」から「ヨーロッパの」を除き、代わりに「ドイツの」を自覚的に置いたことである。そしてこの後に人々が問題にしようとしたのは常に「ドイツの先導文化とは何か」であったから、このメルツ式転換によって先導文化論がドイツの特殊問題として成立したと言える。そして「ドイツの」が強調されることによって、先導文化論が統合Integrationよりも同化Assimirationを強いる考えであり、並行社会を克服しようとする前向きの議論ではなく、左派の多文化社会論に抵抗する右派の作戦だと受け取られたることになった。こうして先導文化論はきわめて政治的な、或るドイツ人の琴線に触れ、或るドイツ人の逆鱗に触れる問題として展開していくことになる。

 その他今回紹介する予定でいたが、余力がなくなったので、以下のものについては別の機会をもつことにしたい。

・Ernst Benda: Theo Sommer für Leitkultur. Frankfurter Allgemeine Zeitung, 9. November 2000.

・Volker Kronenberg: Zwischenbilanz einer deutschen Debatte, die notwendig ist: Leitkultur, Verfassung und Patriotismus—was eint uns?, in: Was eint uns? Verständigung der Gesellschaft über gemeinsame Grundlagen, hrsg. Von Bernhard Vogel, Freiburg i. B. 2008, S.188-209.

(2019.07.05 黒崎剛)

注:写真は筆者が「ドイツ的」と感じるものをランダムに載せているだけで、内容とは関係ありません。