エッセイ000 「哲学者のひつまぶし」

空に元号は関係ない

 私は仕事が遅くて何かをすばやく書くということができない。それでもちょっと勘違いをして、2018年春にはじめての海外暮らしをしたとき、たぶん興奮していろいろ書きたいこともあるに違いないと思って「ドイツ日記」というものを始めた。が、やはり元々の根性変わるはずもなく、書くべきことはいっぱいあったし、「日記」であれば1年に365回書いてもいいはずだったが、9話で終わったのであった。

 それでもこりずにせっかくHPを作ったのだし、「ドイツ日記」はもう思い出くらいしか書かないだろうから、それとは別に「哲学者のひまつぶし」というタイトルで、これから駄文を時々載せていこうと考えたのである。

 もともと怠け者のくせにHPなどを開設したのはわけがある。私事になるが、この3月で8年間勤めた都留文科大学を退職し、中央大学の法学部に移籍した。「わけ」というのは前の大学でのことで、いろいろとあって、学長・副学長から目の敵にされ、大学側からついに私のゼミまで取り潰され、専門の担当授業も数年先に廃止されることになり、あまつさえ所属学部も変更されようかというありさま。それで同じ目にあっている諸君とともに訴訟に打って出た。(いったい何があったのかは、裁判が終われば発表できるだろうから、お楽しみに。この件は現在の日本の文部科学行政の在り方を考えてみると、なかなか面白い事例なのである。)ともかく大学内ではすることがなくなったので、大学外に活動の場を移すことにし、その一環としてHPにも力を入れることにしたのだった。ところが本年度から幸運にも大学を移ることができて、新しい職場では他の教員と同様に学内の仕事もやらざるを得なくなったので、かえってヒマはなくなってしまった。それでも自分の怠け癖を直すために一度やろうと思った書き物は続けていきたいと考えたわけである。

 「ひまつぶし」というとなんだが不真面目なようだが、「学者」の英語scholarが古代ギリシャ語のスコレーscholē、つまり「ヒマ」からきているとはよく聞くことだ。「ヒマ」と言っても何もすることのない退屈な時間の事ではなくて、精神を充実させるために時間的余裕というべきだろう。古代ギリシャの哲人(ヒマ人)のように奴隷に生活上の仕事は任せて研究するなどということはできないが、そういう時間がなければ研究などできないのだし、その意味で研究などというのはすべてひまつぶしだと言える。だからひまは正しくつぶすことが大切であって、もてあましてはならないのである。

「小人閑居して不善をなす」などということわざもある(つまらない人間は退屈すると悪いことをするという意味)。私も小人なので不善をなさいよう、ひまな時間を有意義につぶそうと決意したのである。

 と、ここまで書いて終わりにしようと思って読み返したら、タイトルが「哲学者のひつまぶし」となっていることに気付いた。私はメールなどでも間違いが多く、「誤字脱字王」とまでののしられたこともある。またやりましたかと反省して直そうと思った。が、「ひつまぶし」と言えばウナギをご飯にまぶしたもの。するとあれこれとりとめのないことを取り混ぜて書くのにぴったりではありませんか、などと思いかえして、そのままにしておくことにした。本物のひつまぶしは名古屋名物だが、以前に入試の出張で名古屋へ行った時、小遣いが足りなくて手が届かなかったことが心のどこかに恨みとなって残っているに違いない。なんともあさましい。

(2019.10.20 黒崎剛)