エッセイ001 元号で数えられない

今年は何でも令和初

 日本に帰ってきて最初の騒ぎが「令和」改元だった。ある人が役職についている間だけで時代の名前を決め、何かの拍子でその人が退くと「時代が変わった」と言う。時代の区切りは何らかの変わり目ではなく、恣意的に設けていいことになる。周りの人と話をしている限りでは、そんなこと、ほぼ100%の人が「ばかばかしい」と苦笑する。でもマスコミ報道では日本人の100%近くは祝福して浮かれていたことになっている。私の学生たちも改元当日都心に繰り出して騒ごうとしていたのがたくさんいたようだが、結局クラブがあったので誰も行かなかったそうだ。若き日本人にとって天皇代替わりの祝福の表明はクラブ活動より重要性は下だということか。その良し悪しはとりあえず措いておいて、私が嘆いたのはこれでまた年号が数えられなくなるということだ。

 いわゆる明治維新が始まった1868年から数えて今年で151年目。その間に明治、大正、昭和、平成と4つも年号が変わり、今度で5つめ。もう年を頭の中でつないでいくことは私にはできない。単純計算が苦手なのである。昭和期はまだ「昭和20年が1945年」という目安があったので何とかなったが、平成以降はもう年が数えられない。平成元年が昭和何年か覚えればいいじゃないかと言われるが、絶対に忘れてしまう。たぶん覚えること自体に抵抗感があるのだとしか思えない。元号が印刷されている書類に年号を書くとき、今年は平成何年かそのつど計算しなければならないので、イライラしてむりやり西暦で書いてしまうことも多かった。実際にはこんな不便を誰が強いている?と内心思っている人は多いらしい。役所や職場でたびたび「これからは西暦で統一しよう」という話が出て、ときどき印刷された元号が消えた書類が出回ることもあったが、どこからか横やりが入ってまた印刷されることになるようだ。

 だが、年号変換ができないでイライラする、というだけではなく、それで歴史感覚や国際感覚というものを身に付けることが苦手になってしまったとしたら苦笑するだけではすまない。元号の使用をある程度強制されていた時期に主要記憶を形成した私の場合は間違いなくそうで、いまも日本と他の諸国との歴史を直観的に重ねあわせることができない。フランス革命勃発の時期に日本がどうなっていたかということを、年表を見なければ思い描けないのである。

 歴史的時間というのは直線的なものである。途中で区分けするのではなく、開始からずっと積み重ねていかなくてはならない。だから1万年とか7000年とかあまり長すぎるとやはり歴史的直観が働かないが、元号のように長くても60年で短く切られてしまっても歴史的な感覚が働かないのである。この点で西暦というのは結果としてちょうどいいところにあって、2000年程度だと感覚的に歴史的時間を摑むことができる。世には西暦はキリスト教歴だからそれを非キリスト教徒が使うのはおかしいという人もいるが、他にいい数え方がない以上、便宜的と割り切って使えばいい。(実在のイエス様は紀元前4年に生まれたというのが定説だそうだから、キリストの生誕を記念しているわけでもないということになる。)

 それでもキリスト教くさい西暦をつかうより日本独自の年号を、とこだわる人には、こんな提案をしたい。それは明治維新の始まった1868年から敗戦の年1945年まで一区切り、1946年を戦後元年として数えるというものである。そういうふうに年を数えれば時代感覚が養えると思う。将来的にはどうなるかな。世界統一政府ができれば、それを人類紀元元年として、それ以前は「紀元前○年」として数えることになるかな。

 ところで、1868年から数えはじめてみると、面白いことに気づく。「明治維新77年」に旧大日本帝国は1945年の破滅を迎えている。77年というのは、一つの歴史的ダイナミズムが始まって完結するのに十分な時間であるというわけか。それから1946年を新日本の「戦後元年」として数えはじめると、2022年に「戦後77年」となる。「戦後」も77年という一区切りするのに十分な時を迎えるのである。単なる数にすぎないが、なにか意味あるような気もしてきた。私はながいこと「歴史認識」や「戦争責任」についての本を書きたいと構想を温めてきたので、この2022年にそれを実現しようかという思いが湧いてきたのである。あと2年ちょっとでできるか、ヘーゲル研究も手が抜けないが、試してみようと思っている。

(2019.10.19 黒崎剛)